何にもやってなかったなあって気持ちになる時もよくあるよ
最も重要なことから始めなさい
俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。
選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い
絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。
芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい
RADWIMPSが好きだから聴いてんだよって言ってくれる人達の気持ちに恥じないように、うちらはこれからも世界で一番かっこいい音楽を作ってくから、もしよかったらこれからも聴いてください。
聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由
目の前で襲われてる女の子を黙ってみてられるほど、俺は大人やないんや。
芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切
惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね
ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません
やるからにはナンバーワンを目指したい
自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる
生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている
馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ
作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。
「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。
私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く
例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ
(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ
約束の額だ・・・悪く思うな。
大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
死に方は生き方、生き方は死に方。
現状を把握しなければ未来は語れない
好きなものを作る、それだけをやるってなるとブレない
なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!
日本人の強みは、組織の構成員として、一種の「家族意識」を有することにある
私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ
間違いや失敗を犯したことのない者というのは、単に無難なこと、安全なこと、つまらないことしか、やってこなかっただけである。逆に優れている者ほど、数えきれない間違いを犯すものであり、これは常に新しいことに挑戦している証拠である
自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。
歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの
世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。
どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ
And so this is Xmas for black and for white, for yellow and red, let’s stop all the fight.
黒人そして白人のための、アジア人そしてアメリカ先住民のためのクリスマスなんだ。すべての戦いをやめよう。
ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ
今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから
人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する
最後は直感なのだ
教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している
帰ってきたぜ!もうどこにも行かないぜ!(アベ加入後、初のライブにて)
金 金 言うてもヤクザは最後は力や。力失うた人間は 力ある人間にその道 譲らなアカン。冴島 お前は東城会の力や。絶対に強いまま 神室町に戻って来るんやで。
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか
やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。
この街は牢獄や……。俺が塀の外に出られんのは いつなんやろな兄弟……
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである
Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。
信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ
お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。
人の本当の仕事は30歳になってから始まる
否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。
働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映する。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す
意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。
いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分
著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ
俺は錦みてえにはなれねえよ
愛しあってるかい?
(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)
すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって
最初っからうまくいくことなんてねぇよ。みんな。本気で手に入れたい世界が俺達にあって、それが今この世にないんなら一から作りゃいいじゃねぇか
同じことは二度とできないし、マネもできないんですよ。
色々と余計なこと考えすぎて眠れなくなった夜には必ずといっていいくらいに見まくった立川談志さんの落語のビデオ
曲のメロディはもちろん大事ですが、大きな構造で考えるとスコアは設計図みたいなもの
凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ
いかなる道でも効果が無くなると、最後の手段として剣が与えられてるのです。最高の財宝だけは、われわれは暴力に対して正当防衛をしてもよいのです
未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである
芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている
映画を観てる時もご飯食べてる時も漫画読んでる時も友達と喋ってる時も、なんにもしていない時なんて特に、いつもいつも音楽のことを考えてる
私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。
Everything has its wonders, even darkness and silence, and I learn, whatever state I may be in, therein to be content.
すべてには驚くべきものがあります、暗闇や静寂にさえも。そして私はどんな状態にあっても満足して、学びます。