昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。
沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。
腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。
歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)
jupiterは「木星」の他にも「雨の神様」って意味があって、俺はその言葉がいいなって思って。「太陽の神様」じゃなくて「雨の神様」だって。じゃぁ、俺は皆を濡らしてやろうと。俺らは泣いてもいいんだよって言いたいバンドな訳だから。
迷い、夢見ることをはばかるな。高い志向はしばしば子供じみた遊びの中にあるのだ
私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です
反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。
若くなるには時間がかかる
この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。
何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな
最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということ
人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。
まっすぐ進めば早く着く! ときには楽しい寄り道も! アナタが自分で選んで、納得できる道を進もう
「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。
回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる
美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように
レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。
じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ
人は大きな目的を持ってこそ、おのずから大きくなれる
綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ
人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします
みなしごハッチ。(RUSH BALL☆P@なんばHatchにて)
清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。
意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。
例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ
楽曲は成り行きだけど、僕とマーシーは20数年間、その成り行きの『成り行かせ方』をやってきた。スタジオに入った瞬間に、僕とマーシーの空気はあるんだと思う。今は4人でうまーい成り行かせ方をしてんじゃない?そんな気がする
言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。
赤がなければ、青を使います
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した
彫刻は、凹凸の術である
私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ
幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること
自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます
一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり
今俺らがうたってる最中に向こうの方横切ってトイレ行ったりしてる奴ら、そいつらもここ(最前列)にいつか来させてやる。全員ギャフンと言わせてやる
弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます
他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。
型にはハマらずにいたい
意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!
憎しみや苦しみのない世界があるからお前来ない?って言われたら、「俺はいかない」って言うわ
「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。
俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)
「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ
人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ
常に100%満足できる作品を作るべきだと思うし、そうすることが俺らの音楽を待ってくれる人たちへの最高の礼儀だと思うんですよ。
自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。
自分にいろんな矛盾があることが当然
僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。
「人生楽しいことばかりじゃねぇ。厳しいんだよ現実は」ってお前らとか俺の周りにも余計なこと言う奴らがいるけど、お前らがこんな風に笑ってそれ見て俺らも楽しくて笑って、そんな俺ら見てお前らも楽しくてまた笑うじゃん。バカみたいだけどそれでいぃと思うんだ。俺はそんなお前らが大好き
ロックンロールは続いていくんだよ
俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。
集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない
絵画というのは手で作った写真だ
The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある
あいつが…運命と闘うなら…、俺はあいつのために、命張ってやろうと思うんだ。
成功への道は自らの手で未来をつくることによってのみ開ける
あたしロマン派だから。猫の名前もゲーテとシューマンだし。
私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ
みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。
私、雑音がほしくて。綺麗なノイズのない環境が嫌
だって朝から晩までいろんな音楽聴いてるわけで。バップのジャズや20年代のブルースからソウル、レゲエ、フォーク、アイリッシュ。クラシックはめったに聴かないけど聴くときもある。そのすべてから影響受けるけど、僕はそういうのを聴く人で、その僕がやってるバンドがこれだっていうだけ。
昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。
One can never consent to creep when one feels an impulse to soar.
羽ばたきたい衝動を感じたら、這いつくばることに耐えられはしない。
曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です
兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。
宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない
生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。
反者から学ぶ事はたくさんあるけど本当に大事なのはそっから先に行く事だ
誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い
運命に耐えているとき、そこに真理が見える
ロックの基本は愛と平和だ。
自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか
芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか
色彩は、それ自体が何かを表現している
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
今真剣なんだ。邪魔するな!
あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。