どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。
毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策
「最初はグー」ってなんであるんだろう。
俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!
お客が来なくなったらバイトすりゃいい
俺にとって音楽って魔物でしかなくて、常に。ごほうびなんて与えてくれないんですよ、基本的に。とにかく捧げものをひたすた貢いで貢いで貢いで貢いで、で、ちょっとおこぼれをいただくような真っ黒い、闇みたいな存在だった
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。
女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ
最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね
大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。
人の評価なんかどうでもいいし
僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。
俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。
毎回が真剣勝負
人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします
頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!
こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ
声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った
As usual, there is a great woman behind every idiot.
いつだってバカを支えているのは偉大な女性だ。
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである
子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)
自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである
何があっても、賛成反対両方あるのは自然。
著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ
お前らが全員霜降り肉に見えるぜ!(兵庫ライブにて)
芸術家とは、不滅の存在である。刑務所や強制収容所に入れられていても、芸術の世界に身を沈めていれば、私は全能でいられる。たとえ、ほこりまみれの牢屋で濡れた舌を使って絵を描かねばならぬとしても
(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)
素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する
やっぱり音楽は大好きなことで、他に代わりがないから緊張するんですよ。今日のライブがダメでも、他でがんばればいいやとか、そういうもんじゃないから。
私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ
音楽家は勉強が好きじゃないと務まらない仕事
人に善をなせば、とがめられるものだ
人と繋がりたかったら、求めるんじゃなくて、求めたものを持つんじゃなくて、求めるもの全部、自分が閉じ込めてしまうぐらいの、一方通行の自分勝手な行動をぶつけて、それに答えてくれた時に、本当に繋がれるんじゃねぇのかな。
あまり頭が良くない俺には、温度を低くして生きることは向いていないと分かっているから、身体を使って、燃えて生きていたいなという想いがあって
夢を飼い殺しちゃいけない。
自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい
失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい
自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。
創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない
優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである
生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう
一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。
「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。
意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!
最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということ
郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)
普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する
幹部の仕事と知識とは、あまり関係はない
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
好きなものを作る、それだけをやるってなるとブレない
友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ
Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。
大事は寄せ集められた小事によってなされる
常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ
過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない
「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう
たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、お前ら、覚悟決めろよ
私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ
現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている
上手であることはそんなにいいことか?とも思う
生きているうちに天才って言われたい
目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・
私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている
ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ
人の本当の仕事は30歳になってから始まる
みんなの前で歌わんかったら下手になる
石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)
ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい
おお嫉妬よ!お前は細事の拡大したものである
第一番に稚心を去らねばならぬ
「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい
どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ
君はあなた自身を創造していると思いなさい
一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。