


煮詰まったらドラクエやる

「夢は全部かなう」って僕は言うし、今でもそう本気で信じてる。夢はかならずかなう。かなわない夢はないよ。これ、本気だよ?1ミリもブレたことがない。100パーセント、誰の夢もかないます。

音楽にはいろんな力がある

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです

1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

音を出すことで何を伝えたいのか

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である

昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました

人生の目的は悟ることではありません。生きるんです

その曲の伝えたい事が、あなたがあなたに伝えたい事だと思って欲しい。

まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

夢はぶれずにいることなんです。わたしにとってはいちばん大切なのです。

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

Everything has its wonders, even darkness and silence, and I learn, whatever state I may be in, therein to be content.
すべてには驚くべきものがあります、暗闇や静寂にさえも。そして私はどんな状態にあっても満足して、学びます。

俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある

オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)

優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のこと

なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

ああ、俺にもできそうだ!

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる

曲作りの勉強は独学です

「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう

人間は老けるよ。あたりまえじゃん。だけどさ、ロックンロールは年をとらないんだよ。ロックンロールっていうのはやっぱりね時空を越えていくんだ!

手には、物を掴む手と放す手がある

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される

選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い

自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。

急にひとりぼっちにされちゃった気持ちになったんですよね。共犯者はいっぱいいるのに、私だけが訴訟を起こされてるような。

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。

あと二曲なんだよ。「え~!?」って気持ちも分かるぜ?その気持ちも分かるが、でもあと二曲を精一杯唄うからさ、お前等も精一杯楽しめ。また絶対来るからさ。な?

空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。

私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ

期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える

勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ

なんばHatch?…へんななまえ。(06年THE BIRTHDAYライブにて。ちなみにこの日、まともなMCはこの一言のみ)

歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。

なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。

全部は混沌としてるから面白い

君はあなた自身を創造していると思いなさい

重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる

What I am looking for is not out there, it is in me.
探しているものは外になく、自身の中にあるものです。

指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている

Self-pity is our worst enemy and if we yield to it, we can never do anything wise in this world.
自己憐憫は最悪の敵です。それに負けたら、この世で賢明なことは何一つできないのです。

「お客様は神様」ですから

妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。

上手い歌なんか歌いたくないんだよな。いくらでもいるし。

いつからこの国はこんなにもセコイ人間の集まりになってしまったんだ。

What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。

何が伝わってほしいって言ってさ、いろんなメッセージとか、いろんなことを訊かれるんだけど、何もないんだよ。みんなが楽しくなってくれたら、もうそれで僕たちがやりたいことは100%成し遂げられてるんだ

私は天才を自覚している

全力を注がなければ、単に約束と希望があるだけで、計画はない

組織に働く者は、成果に何も寄与しないが無視できない仕事に時間をとられる。膨大な時間が、ほとんど役に立たない仕事、あるいはまったく役に立たない仕事に費やされている

笑ってくれりゃあ本望だよ

やりたい事やったもん勝ちなので全部やりたい

世の中を変えるには政治家になりゃいいとか自分に言い聞かせてたりするけど違う、おれらには音楽っていう武器がある

神は勇者を叩く

青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ

今の音楽の置かれてる状況の事とか、悲しくなっちゃう所がありますよね。パソコンで150円で買えるとか、若い頃の自分にとって凄い高かった、3000円とか2800円っていう感覚、その感じがもう無いっていうのは、なんかちょっと悲しいですね。

馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ

忍耐もまた行動の一つの形態だ

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

方向性に迷った時は僕は初めのイメージに立ち返る

一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

手段ではなくて目的

「最近バンドの調子がいいですね。」とか会ったこともない奴に言われる機会が増えました。そういう奴らには、これからも「おめー誰だよ!!??」ってやっていくんで、皆さんよろしくお願いします

どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか

曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。

常に恥とは何かを知り、人に負けない様に強い気を持ち、どんなときでも権力に盲従してはならない

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です

喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ

最高で当たり前なんだよ

最後は直感なのだ

Music is everybody’s possession. It’s only publishers who think that people own it.
音楽はみんなのものだ。自分のものと思っているのは作った人だけさ。