誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。
「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ
お客が来なくなったらバイトすりゃいい
ゆっくり急げ。美よりも速く走れ
戦争やってる遠くの国のことよりも友達の方が大切だと思うけどなぁ
The only thing worse than being blind is having sight but no vision.
盲目になることよりひどい唯一のことは、視覚はあっても未来像がないことです。
君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?
成し遂げたいことに必要な条件を、明確に把握すればするほど、達成される確率は高まっていく
ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感
青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ
地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。
出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの
兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。
沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。
大事は寄せ集められた小事によってなされる
何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。
幸せのまんま放っておいてほしい
最後は直感なのだ
人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない
北海道、広いよなあ、カナダぐらいあるんじゃねえの?人口、ロシアぐらいあるんじゃねえの?
自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
愛しあってるかい?
一番確実な未来予知の方法は、未来自体を作り出してしまうことである
心が揺れたところで決着はもうついてんだ
愛することは、愛されること
Although the world is full of suffering, it is also full of the overcoming of it.
世界は苦しいことでいっぱいだけれども、それに打ち勝つことでもあふれている。
僕たちは心の中にたまごを抱えています。何かを経験して心が大きく揺れたとき、たまごはパカッと割れて新しい命が飛び出します。ロックンロールに出会ったとき 僕の心の中で1つのたまごが割れました。それは初恋のように僕を夢中にさせました。今も元気なその心の住人は僕にマイクを握らせました。
コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。
俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある
早く大人になりたいとか、まだ子供だとか。違うんじゃないか?俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ
私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない
火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)
愛してるってどういうこと?愛してるって言葉の響きが重すぎるよ。愛せる程立派な人間じゃないですよ。
書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい
人生は、水平方向に落ちていくことである
常に100%満足できる作品を作るべきだと思うし、そうすることが俺らの音楽を待ってくれる人たちへの最高の礼儀だと思うんですよ。
楽曲は成り行きだけど、僕とマーシーは20数年間、その成り行きの『成り行かせ方』をやってきた。スタジオに入った瞬間に、僕とマーシーの空気はあるんだと思う。今は4人でうまーい成り行かせ方をしてんじゃない?そんな気がする
ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ
人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか
目立たないように目立たないように、さりげなくさりげなく自分の存在を消し続けた(高校)三年間
女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです
絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ
歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)
手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある
他者同士だからさ、分かりあえなくて当然
Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。
Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。
俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ
人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
愛の光なき人生は無意味である
世の中には違った考え方をする種族がいる
先に見出し、後に捜し求めよ
運命に耐えているとき、そこに真理が見える
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う
何だって自分次第なんだわ。んなもん、当たり前だよな。お前がクソなら、世の中はクソだよ。
音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る
俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!
真摯さはごまかせない
清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。
いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから
釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね
お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。
偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。
本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。
アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に
彫刻に独創はいらない。生命がいる
What I am looking for is not out there, it is in me.
探しているものは外になく、自身の中にあるものです。
Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。