


絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

自分が作った曲をいっぱい聴いてもらえたり楽しく歌ってもらえるんが1番嬉しい。難しいこととか考えたくない!作るのが楽しい、歌うのが楽しい、誰かのの思い出になれる事が嬉しい

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

若い時から優れた作品に触れることが重要

もっとたくさん僕らの曲聞いてもらって、皆を励まして背中を押してあげたい。

真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ

どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。

人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ

日々楽しく過ごしているということは、今を生きているということなんだ

今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある

この世は、良いのと悪いのとかさ、苦痛と幸福とかさ、相反するふたつのことで成り立ってると思うわけ。俺は、頭が悪いなりに考えた結果ね。で、頭がいい人とバカっていう争いもあると思うんだよ。今日は、三万人もバカばっか集まってくださってどうもありがとうございます

失敗する子が減ったかも知れない。安全な道を選びがちだけど、危険な道ほど行ってみようって思う気持ちも大事。

若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる

俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)

暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても

私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……

組織は常に進化していなくてはならない

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

誰にでも何かの仕事に適する素質がある。世の中が必要とするものは多く、自分が役に立てることが必ずある

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える

(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。

「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う

誰のようにもなりたくない

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。

ベイビーアイラブユーだぜ!

創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う

曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない

今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから

愛は人生において、最も優れた栄養源である

私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。

ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。

チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

この世界中の人口の1%の人たちが世界中の富の90%を持ってて、残りの99%の人たちが残り10%の富を持ってるんだってよ。俺らはそんな世の中クソくらえって思うんだ。でももしかしたら(音楽で)こんな世の中変えていけるんじゃねーかって思ってる奴の人口の方が多いんじゃねーかって思ってる

いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

んだ。学びは終わらない。んだ。

思い出すのは、あんまよくないよ

シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ

部下の成長は、育成した者にとって昇進に値する貢献としなければならない

やっぱり音楽は大好きなことで、他に代わりがないから緊張するんですよ。今日のライブがダメでも、他でがんばればいいやとか、そういうもんじゃないから。

大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。

ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ

長く生きてるほうが絶対おもしろいよ

重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。

結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

急成長会社では無能な者が要職にいる。会社の成長についていけなかった人々である

「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう

私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった

経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索を割くべきである

新潟…新しい『潟』…。『潟』ってどういう意味だーっ?! (新潟ライブにて)

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。

思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ

みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない

学ぶことは何もないの。楽しむだけでいいんだ

信仰と信頼の間にのみ平和があります

傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです

誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。

音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです

時間は私たちに残された数少ない大切なものだ

俺らがなんでロックやってっかというと、ロックはさ、汚ねぇ言葉とかすっげぇ使ってるよ。それが受け入れれない奴は、まだロックなんて必要ねぇんだよ。でも、絶対なんか壁にぶちあたった時、ロックを聞くとさ、こんな汚ねぇこと考えてるの俺だけじゃねぇんだって思えるからさ。だから、俺らはおまえらのためだけにロックをやるよ

生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって

一人前になるっていうのは、すげえかっこいいこと

ひとりの富者がなんと多数の乞食を養うことか!王が建築を始めれば、馬車曳きに仕事が生まれる

昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う

世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい

RADWIMPSが好きだから聴いてんだよって言ってくれる人達の気持ちに恥じないように、うちらはこれからも世界で一番かっこいい音楽を作ってくから、もしよかったらこれからも聴いてください。

死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。

別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね

毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です

どうせやり切るなら極限までやっちゃえ!

最高や 、まさかゾンビとやりあえる日が来るとはのお。

自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる

何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ

毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策

恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し

僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。

「やさしくなりたい」という意思、それはすごく大切だなと思う

「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている
