


人間の運命は人間の手中にある

人生はほんの一瞬のことに過ぎない。死もまたほんの一瞬である

自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。

急にひとりぼっちにされちゃった気持ちになったんですよね。共犯者はいっぱいいるのに、私だけが訴訟を起こされてるような。

今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました

夢見ることをやめてはいけない

笑ってくれりゃあ本望だよ

ひらめくまで待つ

僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに

問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである

真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ

現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう

明日のための今日じゃありません。今日のための今日です

学とはならうということで、すぐれた人物の立派な行いを習い、みずからもそれを実行していくことである

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

『自分にはなにもない』って言う人いるけど、そんなことない。コンビニの店員がいなかったら、お弁当あっためてもらえない、銭湯のおばちゃんがいなかったら、銭湯入れない。みんなやることやってる。それを誇りに持てよ!

見放さなければ、失うということもありません

気とは人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである

一度志を立てた以上は、何よりもまず目的を定め、少しの時間も無駄にせず、確実な道を歩んで、その目的を達成するように努力するのがよい

僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。

(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)

今までの後悔とか、辛かった事とか、選択も全て間違いじゃなかった

お前らの人生がライブハウスみたいだったらいいなぁ。おされたり、ぶつかり合ったり、倒れちゃったりして、でも自分の力で立ち上がったり、時には周りの人に助けられたりしながら起き上がって、次の瞬間にはものっすごい笑顔で前を向いてる。お前らの人生がそんなだったらいいなぁ

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。

最も重要なことから始めなさい

昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う

聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。

(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな

やっぱ俺は唄を選んだ人間なんだなって思ったんだよ。どんどん喋るのが下手になってって、どんどん唄うのが好きになってって、これは唄えって事だ。

ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ

嫌な事は3秒で忘れる

音楽を作ることに対しては迷いはないから。音楽っていうのは前衛的なものだし、発明であり発見であり実験であり冒険であると思ってる。俺はそこを誇りに思ってるから。

絶対仲良くなれない奴いるよね? 俺超友達少ないもん。でも音楽の上ではこんなに愛し合えるんだよ。実際の世界よりも僕は好きだから、ライブの空間と音楽の空間が。

数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る

You won’t get anything unless you have the vision to imagine it.
心に思い描かなければ、何も得られない。

「最初はグー」ってなんであるんだろう。

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない

やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。

どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。

色々と余計なこと考えすぎて眠れなくなった夜には必ずといっていいくらいに見まくった立川談志さんの落語のビデオ

何かがあった瞬間というのは、何かが終わった瞬間だと思う。 何かが終わった瞬間が、何かが始まった瞬間だと思う。

俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!

忍耐もまた行動の一つの形態だ

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない

恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ

自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ

素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです

音楽って難しいけど楽しいな。昨日今日でやってこと、明日全部やり直し。でも、そういうの嫌じゃない。多分、必要なプロセス。

空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。

深く、恐ろしく真実を語る者であれ

人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ

いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

俺が兄さんをムカつかせたんなら、謝ります

『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。

大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです

俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ

沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です

Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

死を怖れない者に何を怖れろというのだ

別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね

Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。

お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ

自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる

期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る

だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!

これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。

やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。

人に善をなせば、とがめられるものだ

期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える

目の前の困難から逃げてばかりではダメです

笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む
