生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある
何にもやってなかったなあって気持ちになる時もよくあるよ
Self-pity is our worst enemy and if we yield to it, we can never do anything wise in this world.
自己憐憫は最悪の敵です。それに負けたら、この世で賢明なことは何一つできないのです。
これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない
絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ
僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない
神童などという言葉は、家族のつくったものだ
やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね
流行なんて、文字どおり流れていく
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
音楽にはいろんな力がある
好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す
深く、恐ろしく真実を語る者であれ
計画とは未来に関する現在の決定である
重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである
着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ
女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる
お前らの人生がライブハウスみたいだったらいいなぁ。おされたり、ぶつかり合ったり、倒れちゃったりして、でも自分の力で立ち上がったり、時には周りの人に助けられたりしながら起き上がって、次の瞬間にはものっすごい笑顔で前を向いてる。お前らの人生がそんなだったらいいなぁ
惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね
何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。できないことによって何かを行うことなど、到底できない
詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
やるからにはナンバーワンを目指したい
虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!
イエスとノーのあいだに真実が息づいている
All the world is full of suffering. It is also full of overcoming.
世界は苦しみで満ちています。しかし同時に、克服の光も満ちています。
いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
絵画というのは手で作った写真だ
日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ
自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする
声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った
芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように
(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです
負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない
我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?
確かに……一度 “黒” に染まったモンはどこまでいっても “黒” や。そっから抜けることはできん。けどな、それでも噛みつく相手選ぶくらいはできる。それが俺の流儀や
フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ
周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。
歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。
恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない
ロックの基本は愛と平和だ。
生きてる人間が『生きてる』っていう事を証明する為に言葉とか色々方法があるんだとしたら、そのいくつもある方法の中から音楽を選んだヤツらが集まっているのがこのバンドだと思う。
そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。
何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている
傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです
砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。
破壊こそ創造の母だ
俺もな、お前と一緒で目の前に困ってるガキがいると放っておけない性質なんだ
今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事
指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない
親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか
今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです
自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした
ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。
俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)
んだ。学びは終わらない。んだ。
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
津波が来ます。(酒に酔いながらのラヂヲで地震が来たとき勝手に)
人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい
僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ
世の中には違った考え方をする種族がいる
他人の短所が目につきすぎる人は、経営者には向いていない。長所を効果的に発揮させるのが自分の仕事だと考える人が、有能な経営者になれる
多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある
自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです
手には、物を掴む手と放す手がある
『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣
さぁライヴハウスへ帰ろう
熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます
どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
いや、40年と30秒だよ
思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ
生まれる前からあなたの側にいた曲です
ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している
若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ
顔に性格が表れるように、声には人生が現れる。言葉でどうこうするより、何万時間語り合うより、一曲でいいから自分の書いた歌を聴いてもらえば分かりあえる気がしちゃうんだよな
私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ
私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です
美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね
若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる
どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?
型にはハマらずにいたい
人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい
生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。
一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ
When we do the best that we can, we never know what miracle is wrought in our life, or in the life of another.
ベストを尽くしてみると、あなたの人生にも他人の人生にも思いがけない奇跡が起こるかもしれません。