期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る
他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない
筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね
人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ
明日のための今日じゃありません。今日のための今日です
やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。
内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い
生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ
あせってはなかったね。いつでも出来るし、やり始めたら一瞬だって思ったから
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)
絵を描くのは人生に耐えるための手段だ
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
一度志を立てた以上は、何よりもまず目的を定め、少しの時間も無駄にせず、確実な道を歩んで、その目的を達成するように努力するのがよい
自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う
俺かて そない馬鹿正直に生きてきたわけやない。せやけどな、俺のまわりには馬鹿に生きて……馬鹿に死んでった男たちがおった。そいつらのくだらん生き方が 俺は男の最高の生き様やと気がついたんや
客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい
いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ
僕たちは心の中にたまごを抱えています。何かを経験して心が大きく揺れたとき、たまごはパカッと割れて新しい命が飛び出します。ロックンロールに出会ったとき 僕の心の中で1つのたまごが割れました。それは初恋のように僕を夢中にさせました。今も元気なその心の住人は僕にマイクを握らせました。
人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか
人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!
もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない
自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!
もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ
一生懸命考えたり思ったりしてわからなくなって、最後の最後のところで逃げ場のないところまで追い詰められて、だからロックンロールをやってる気がするんだよ
間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる
大人のくせに子供と同じような人間ばっかりになっちまったんじゃねえのか。
どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。
人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である
(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)
今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)
何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ
これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。
藤くん、心からおめでとう。本当に本当に嬉しかった。他人のことでこんなに嬉しかったのはいつ以来だろう。昨日もらった連絡で僕は眠れなくなりました。これからも大好き。おめでとうございます。
新大久保から来ました。(THE BIRTHDAY福岡ライブにて)
僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った
人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
もって行かれるぞ。甘い考えで生きてるとあっという間にもって行かれてしまう。この国をたて直すためには戦争をするしかないと考える人間がたくさん居るんだ。
The highest result of education is tolerance.
教育の最高の成果は寛容さです。
女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす
人間が生きる限り、死人も生きているんだ
喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ
何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
やっぱ俺は唄を選んだ人間なんだなって思ったんだよ。どんどん喋るのが下手になってって、どんどん唄うのが好きになってって、これは唄えって事だ。
生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。
大丈夫。君は愛されてる。全て上手くいってるんだ。何も心配する事はないよ。君は自信持って笑ってればいいのさ。
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う
勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな
心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ
企業の目的は顧客創造である以上、企業の基本的な機能はマーケティングとイノベーションの2つしかなく、そのほかはすべてコストだ
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます
「お客様は神様」ですから
自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし
目立たないように目立たないように、さりげなくさりげなく自分の存在を消し続けた(高校)三年間
言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。
誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう
一番確実な未来予知の方法は、未来自体を作り出してしまうことである
閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ
夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。
Character cannot be developed in ease and quiet. Only through experience of trial and suffering can the soul be strengthened, ambition inspired, and success achieved.
人格は、楽で平穏無事ということのうちには発展させることができない。試練と苦難の経験を通してのみ、魂は強化され、展望は明快にされ、野望は刺激され、そして成功は達成される。