人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。
何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。
集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない
自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを
企業の目的は顧客創造である以上、企業の基本的な機能はマーケティングとイノベーションの2つしかなく、そのほかはすべてコストだ
曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です
悪い種子からは悪い実ができる
何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。
負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない
死に方は生き方、生き方は死に方。
人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する
好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事
何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです
人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ
(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
オレは糞っタレのダメ人間!お前ら、オレみたいになんなよ!…でもさ、お前らがいるからこんなオレでもここに立てた。今のオレにはもう歌うしかねぇ、だからお前ら、オレにもう少し付きあってくれ
私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるか来ないかっていう、ただそれだけ
自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである
あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない
凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ
A dream you dream alone is only a dream. A dream you dream together is reality.
一人で見る夢は、ただの夢。みんなで見る夢は現実になる。
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。
芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない
運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ
内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。
出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
青年は決して安全な株を買ってはならない
楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな
酒は何も発明しない。ただ秘密をしゃべるだけである
自分の作った曲で自分が震えたいし、自分を感じたいし、伝えたいし、証明したい。
俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね
その日、歩ける一歩を歩くだけ
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
何にもやってなかったなあって気持ちになる時もよくあるよ
仕事は点ではなく線だ
だって朝から晩までいろんな音楽聴いてるわけで。バップのジャズや20年代のブルースからソウル、レゲエ、フォーク、アイリッシュ。クラシックはめったに聴かないけど聴くときもある。そのすべてから影響受けるけど、僕はそういうのを聴く人で、その僕がやってるバンドがこれだっていうだけ。
みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ
深く、恐ろしく真実を語る者であれ
俺がとりたいのは100点じゃないんだ。ロックンロールが100点満点だとしたら10000点くらい取りたいんだ。
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね
絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている
革命家になろうとも思わないし、政治家にも宗教家になろうとも思わないけどさ、同じ事考えてる人いっぱい居るんだなと思ったら安心するじゃん。で、その記憶が俺を支えるしみんなの事も支えてくれるんだったら、やった意味はあるよね
自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる
ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない
誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い
なんでもいいから、まずやってみる
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。
俺にはなぁ……桐生ちゃんの 命より大切なモン━━見捨てることは できんかったんや。
10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを
アバウトは健康にいい
「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った
常に恥とは何かを知り、人に負けない様に強い気を持ち、どんなときでも権力に盲従してはならない
声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!
スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する
自分自身によかれと思う者は、好ましく心やさしい妻をめとるがいい。さもなければ、いっそめとらぬがいい
多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある
何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ
成し遂げたいことに必要な条件を、明確に把握すればするほど、達成される確率は高まっていく
子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)
学問は、ある人にとっては神々しい女神であり、他の人にとってはバターをくれる有能な牝牛である
大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた
清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。
俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!
判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである
20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。
暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても
座って弾き語りやってても激しいなあこの音楽って思う時もある。だけど逆にフルボリュームでアンプ鳴らしてガーって大暴れしてるのに何も感じない時がある。それはもしかしたら内面が伝わってるんじゃないかと思うんですよ。
不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである
本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ
興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい
レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
最初っからうまくいくことなんてねぇよ。みんな。本気で手に入れたい世界が俺達にあって、それが今この世にないんなら一から作りゃいいじゃねぇか
世界中のヤツらに嫌われてても、たった一人にでも愛されていたなら、そいつはすくわれる。たくさんの不幸せの中に一つでも幸せがあるなら、そいつは幸せなんだよ
この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。
ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。
監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない
たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ
オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)
While they were saying among themselves it cannot be done, it was done.
不可能だとみんなが内輪で言っている間に、それはなされました。