わたしは立ち止まりはしない
お金って、ただの道具じゃないですか
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
成果をあげるための秘訣をひとつだけ挙げるならば、それは集中である
最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない
お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね
最高で当たり前なんだよ
「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている
今真剣なんだ。邪魔するな!
女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる
人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい
何も考えないで、何も判断しないことが、一番の罪だと思う
Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。
与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては
書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
生涯、創造者でありたい
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
デビューした時は、前途多難だなぁっていう感じでしたね。決して華々しい感じじゃなかった
私は天才を自覚している
若い時から優れた作品に触れることが重要
仙台って『陸の孤島』だよな。 (仙台ライブにて)
自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい
第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている
私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる
覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ
何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと
馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ
ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ
俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな
有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い
ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。
誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう
座って弾き語りやってても激しいなあこの音楽って思う時もある。だけど逆にフルボリュームでアンプ鳴らしてガーって大暴れしてるのに何も感じない時がある。それはもしかしたら内面が伝わってるんじゃないかと思うんですよ。
人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である
目の前の困難から逃げてばかりではダメです
一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。
面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ
俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。
私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です
友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる
この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ
芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である
「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)
想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる
言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。
目立たないように目立たないように、さりげなくさりげなく自分の存在を消し続けた(高校)三年間
喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない
人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ
歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。
生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ
だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです
歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの
自殺か三枚完結かでしょ?ロックストーリーって。
売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。
若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる
全力を注がなければ、単に約束と希望があるだけで、計画はない
たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ
膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)
「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。
興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい
たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、お前ら、覚悟決めろよ
世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ
この世は、良いのと悪いのとかさ、苦痛と幸福とかさ、相反するふたつのことで成り立ってると思うわけ。俺は、頭が悪いなりに考えた結果ね。で、頭がいい人とバカっていう争いもあると思うんだよ。今日は、三万人もバカばっか集まってくださってどうもありがとうございます
素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する
本気も本気 “大本気” や!
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね
(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた
石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)
The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。
真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ
私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?
芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ
You either get tired fighting for peace, or you die.
平和のために戦うことに疲れるか、死ぬかだ。