大好きなものと付き合っていくことだよ
ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ
頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!
(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)
You either get tired fighting for peace, or you die.
平和のために戦うことに疲れるか、死ぬかだ。
時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない
スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する
変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。
勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな
家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる
嫌われることは愛されることより難しい
かぶりついて仕事せよ
安定とか定着ならこっちから願い下げだ。媚びるのも飼いならされるのもごめんだ。すごいシンプルにいこう。作家は作れなければ死ぬだけだ。そのルールに異論は全くない。やったろうじゃんか
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ
戦争やってる遠くの国のことよりも友達の方が大切だと思うけどなぁ
最高や 、まさかゾンビとやりあえる日が来るとはのお。
まっすぐ進めば早く着く! ときには楽しい寄り道も! アナタが自分で選んで、納得できる道を進もう
問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。
経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない
芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように
著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ
お客が来なくなったらバイトすりゃいい
コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから
芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切
無能を並みの水準にするには一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする
この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)
学問は生涯を通じて心掛けねばならない
いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ
ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい
他者同士だからさ、分かりあえなくて当然
芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります
人に善をなせば、とがめられるものだ
In the end, the love you take is equal to the love you make.
結局、あなたが得る愛は、あなたが与える愛の量に等しい。
自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)
一人前になるっていうのは、すげえかっこいいこと
作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと
未来は真っ暗。 お先真っ暗というのはすげー前向きな言葉だよ。真っ暗なんだよ。どこがいけないんだよ。そん中に すっげー誰も見たことがない、どんなに勉強したってわかりっこない、 素晴らしいものが隠れてるかもしんない。 真っ暗ってことはいいねえ。みんな平等で。
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか
大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん
ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。
否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。
東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。
誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる
ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。
私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる
音楽って難しいけど楽しいな。昨日今日でやってこと、明日全部やり直し。でも、そういうの嫌じゃない。多分、必要なプロセス。
素晴らしい夢ほど笑われるものです。 もし、他人に自分の夢を笑われたら「あぁ、自分の夢は素晴らしいんだ」っと誇ってください。
自分じゃない自分を出すのが怖い
俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!俺を東城会に戻したかったら俺に勝ってから命令せぇや。
経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索を割くべきである
俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある
『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』
返信への返信(「Re:Re:」)という意味ですが、アルバムの場合、曲の並びが“ラストシーン”から“サイレン”で悲しすぎたので、『もう一度』という意味をこめてタイトルをつけました。(『Re:Re』について)
基本的に全てのキャラクターは、レベル99まで上げます(※自身が無類のゲーム好き)
21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです
私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました
「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい
間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる
There is no king who has not had a slave among his ancestors, and no slave who has not had a king among his.
王の先祖に奴隷がいない者はなく、奴隷の先祖に王がいない者はいません。
あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ
何かと比べて自分は優れてるっていうんじゃなくて、俺にしか書けねぇ曲があるんだって言えなきゃお金取っちゃダメでしょ。伝えられないでしょ。だから今だってずっと言ってるじゃないですか。僕らは僕らの曲を愛してるって…。
回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる
21世紀の最大の不安定化要因は人口の構造変化である。ただし、先進国における最大の問題は高齢化ではない。少子化のほうである
自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。