音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。
大好きなものと付き合っていくことだよ
神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします
日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)
……別に、誰かのために尽くすってことは悪いことやないで?互いが互いのことを思いやり、惜しむことなく尽くしあえる関係が、一番ええ関係ってやつなんやないか?
例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ
僕らがひきこもらない理由は、街に出れば女の子がいるからだ
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う
いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ
極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。
私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ
建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。
人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない
いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います
親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか
人生の目的は悟ることではありません。生きるんです
コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから
頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!
ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです
Our life is our art.
人生はアートだ。
ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ
人間が生きる限り、死人も生きているんだ
色々と余計なこと考えすぎて眠れなくなった夜には必ずといっていいくらいに見まくった立川談志さんの落語のビデオ
なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです
Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。
楽曲は成り行きだけど、僕とマーシーは20数年間、その成り行きの『成り行かせ方』をやってきた。スタジオに入った瞬間に、僕とマーシーの空気はあるんだと思う。今は4人でうまーい成り行かせ方をしてんじゃない?そんな気がする
自由であるとは、自由であるべく呪われていることである
「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)
俺がとりたいのは100点じゃないんだ。ロックンロールが100点満点だとしたら10000点くらい取りたいんだ。
アホくさ。喧嘩すんのは結構やが、もしウチのシマに入ってきたら・・・そん時は怪我するだけじゃすまへんで。
アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に
私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる
エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!
神童などという言葉は、家族のつくったものだ
現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ
普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう
僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする
大事は寄せ集められた小事によってなされる
俺らはハリウッドスターほど会えない人達ではない。現に俺らは曲で君達のそばにいるから
少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。
I don’t believe in killing whatever the reason!
どんな理由だろうと殺しはいけない!
今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで
「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている
悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ
これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
愛の光なき人生は無意味である
美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように
お金って、ただの道具じゃないですか
上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。
自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる
激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て
As selfishness and complaint pervert the mind, so love with its joy clears and sharpens the vision.
わがままと不平は、心を歪めたり曇ったりさせるように、 愛の喜びは視界をクリアにし、鋭敏にさせる。