芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ
もしも明日の朝が来なければ、俺は最高傑作をいくらでも作ることができただろう。
人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである
シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ
俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。
わしがゾンビになったらそりゃお前 世界の破滅やろ?そん時このわしを止められんのは……桐生ちゃん お前だけや。頼めるな?
一事を根気よく長時間続けることは困難なのである。勉とはそれに打つ勝つだけの忍耐力の養成を意味する
仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した
落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。
死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。
俺には夢があるんだ!それは、この世界中から戦争が無くなること、それが俺の夢です!
人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である
だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!
(どんな音楽を聴いて育った?)スピッツ、浜田省吾、平井堅、ユーミン、BOØWY、オザケン、フリッパーズギター。でも自分が学生時代に流行っていた、HYとかORANGE RANGEなんかもたくさん聞いてきました
色々と余計なこと考えすぎて眠れなくなった夜には必ずといっていいくらいに見まくった立川談志さんの落語のビデオ
自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです
組織に働く者は、組織の使命が社会において重要であり、他のあらゆるものの基盤であるとの信念を持たねばならない。この信念がなければ、いかなる組織といえども、自信と誇りを失い、成果をあげる能力を失う
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って
自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする
College isn’t the place to go for ideas.
大学はアイデアを得るための場所ではありません。
いいよ。行っちまえよ。何処へでも。何処にでも届くように唄ってるからさ。
そやったわ。わし花粉症やったわ。
自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう
私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ
本気も本気 “大本気” や!
笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!
空気の大事さなんて、なくなんないとわかんないですよ。溺れて初めて空気の美味さって感じるんですよ。なくなんないとわかんない大事さ。相手のことをそんなもの(空気みたいな存在)にしてしまったのかって思ってしまう。
自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます
未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ
デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する
戦争やってる遠くの国のことよりも友達の方が大切だと思うけどなぁ
名古屋のニワトリって、羽根が何枚もあるんだろ?じゃなきゃあんなに沢山手羽先がつくれる訳ねぇ!
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
人に善をなせば、とがめられるものだ
意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。
人生の目的は悟ることではありません。生きるんです
売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。
逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ
ずーっと出発点に立ってんだよ、ロックンロールって。どっかの道のりにいるっていうんじゃなくて、今いるここがいつも出発点。いつもどっかに行こうとしてるんだよ。
わたしは立ち止まりはしない
聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。
俺は東城会四代目桐生一馬だ!!
死に方は生き方、生き方は死に方。
私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと
Yeah we all shine on, like the moon, and the stars, and the sun.
そうさ、僕らは輝けるんだ。月のように、星のように、太陽のように。
俺らはハリウッドスターほど会えない人達ではない。現に俺らは曲で君達のそばにいるから
自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。
昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました
お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した
今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから
日本人の強みは、組織の構成員として、一種の「家族意識」を有することにある
音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。
不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである
清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。
裏切られたなら落胆を味わえばいい。信じた先の素晴らしさを俺は知ってるから。
運が悪かったんだよ、お前らは
今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました
現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる
俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!
ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ
すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって
親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか
人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね
大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた
一番悪い奴は「口だけいいことを言って実践しない奴」次に悪いのは「悪いことばかり考えてる奴」そうなりたくねぇんだ
すべてはむなしい
運が悪かったんだよ …お前等は
他人のためにやるんじゃないよ。自分がやりたいからやるんだ。
心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ
作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。
(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます
(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。
普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか
無茶苦茶だよ。熱だけしかなくてさ、意味はないんだよ。
心に鍵をかけてるひと。かけすぎて人と話すのが苦手になったりしてる人。自殺をしようとした事がある人。俺はそのままでもいいと思うよ。かっこ良いと思うよ。でもどうか生き延びてください
あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない
音楽、アート、読書、スポーツ、アニメ、ゲーム、etc.好きなものはいくつあったって怒られないのがいいところ。笑。
I don’t believe in killing whatever the reason!
どんな理由だろうと殺しはいけない!
Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。