


今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる

何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている

I believe in God, but not as one thing, not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us. I believe that what Jesus and Mohammed and Buddha and all the rest said was right. It’s just that the translations have gone wrong.
僕は神を信じているけど、唯一のものではないし、空の上の年老いた老人としてでもない。僕は、人々が神と呼ぶものは、僕たち全員の中にあるものだと信じている。イエスやムハンマド、ブッダやその他の人々が言ったことが正しいと信じているよ。ただ、解釈が間違っているだけだと思う。

We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
僕らは、自らのすばらしさと不完全さのなかで、何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。

自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

学問は生涯を通じて心掛けねばならない

恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し

学ぶことは何もないの。楽しむだけでいいんだ

やっぱ東城会はアホばっかりや。大好きやで。

孤独の中では何もできることはない

親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい

小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった

「やさしくなりたい」という意思、それはすごく大切だなと思う

I think our society is run by insane people for insane objectives.
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて

若い時から優れた作品に触れることが重要

どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ

調子が良くなかろうが、ノルマを達成するように進めていかなければこなしきれない

何かがあった瞬間というのは、何かが終わった瞬間だと思う。 何かが終わった瞬間が、何かが始まった瞬間だと思う。

俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!

真摯さはごまかせない

どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ

「私は大衆の中の一人であって大して変わりはない」っていう風に思いたいから。絶対に私は普通のことを言ってて、誰しもが思ったことのあるることを言ってるはずで。

ああ、俺にもできそうだ!

なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい

Before Elvis, there was nothing.
すべての始まりは、エルヴィスだった。

大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。

Alone we can do so little; together we can do so much.
私たちがひとりで出来ることはほとんど無い。私たちが一緒に出来ることはたくさんある。

俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。

自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ

やらないってのも一つの行動だと思う

行動がすべての成功の鍵だ

もって行かれるぞ。甘い考えで生きてるとあっという間にもって行かれてしまう。この国をたて直すためには戦争をするしかないと考える人間がたくさん居るんだ。

聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。

俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける

失敗する子が減ったかも知れない。安全な道を選びがちだけど、危険な道ほど行ってみようって思う気持ちも大事。

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない

声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った

「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。

美はざっと見てもわからない

確かに……一度 “黒” に染まったモンはどこまでいっても “黒” や。そっから抜けることはできん。けどな、それでも噛みつく相手選ぶくらいはできる。それが俺の流儀や

世界中で今日もどこかでライブがあるだろうし、明日もどこかでやるだろうし、世界中でも何百何千万、すごい数のライブがあるんだろうけど 、俺の言ってるこのすげえロックンロールっていうのは 多分、ほんの一握りなんだよ

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを

ドレミファソラシドの中で泳ぎたかった。空白の中にリズムを置いていきたかった。音符のない空白の中にこそリズムを感じたかった。

Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな

曲のメロディはもちろん大事ですが、大きな構造で考えるとスコアは設計図みたいなもの

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす

俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね

いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい

いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)

オレは糞っタレのダメ人間!お前ら、オレみたいになんなよ!…でもさ、お前らがいるからこんなオレでもここに立てた。今のオレにはもう歌うしかねぇ、だからお前ら、オレにもう少し付きあってくれ

もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ

We could never learn to be brave and patient, if there were only joy in the world.
もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。

ステージに出る前、死刑台に上がってく気分になるときがあるんだ。ギロチンの下に頭を置いて審判が下される。

友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。

どうせやり切るなら極限までやっちゃえ!

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

高松の不良の皆さんこんばんは!(高知ライヴにて)

それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!

私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

最初にして最高の聴き手は自分自身

イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。

人生をね、棒に振りたいんだよ

生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである

ありとあらゆる感覚を総動員させ、自分を限界まで追い込んでいく

兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである

生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる

それしかないんだから。腹をくくって、あきらめて。そこに行き着くまでにいっぱい考えればいいと思うし、失敗もすればいいと思うんだよ。

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

生まれる前からあなたの側にいた曲です

基本的に全てのキャラクターは、レベル99まで上げます(※自身が無類のゲーム好き)

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

俺は東城会四代目桐生一馬だ!!

いや、40年と30秒だよ

「五稜郭ジャンキーズ! 」「みんな、牛好きかー?!ジンギスカーン!」(札幌ライブにて)

子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人

日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。

戦争は戦争を養う

組織の活動というのは、「いかに世の中に貢献していくか」という一点に集約される

誰をも恐れない者は、誰からも恐れられている者に劣らず強い

人間は老けるよ。あたりまえじゃん。だけどさ、ロックンロールは年をとらないんだよ。ロックンロールっていうのはやっぱりね時空を越えていくんだ!

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている
