数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る
人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ
すべてはむなしい
小ちゃい頃は入院することが多くて、看護婦さんとか凄いすきなのもそうじゃないかな。だって、生まれてすぐ大手術でしょ?すっごい病院が心地いいのかも知れない。
俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね
I think our society is run by insane people for insane objectives.
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。
最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね
青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ
So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。
20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。
真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう
砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
人と同じものが嫌とか、そういうのはあまりない。自分が好きなものを集めてたら、人と同じにはならないでしょう?
志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい
ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである
自分じゃない自分を出すのが怖い
創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。
夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。
若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる
一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ
自分自身によかれと思う者は、好ましく心やさしい妻をめとるがいい。さもなければ、いっそめとらぬがいい
ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。
詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。
成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない
明日からさ、また頑張れよ。お前らの周りにはさクソみたいにどうしようもないヤツがいるだろ? そんなのに限って良い点取ったりすげぇ稼いだりするんだよな。そんなのにぜってぇ負けんじゃねぇぞ
(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど
最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである
生まれたからには、生きてやる。
大人のくせに子供と同じような人間ばっかりになっちまったんじゃねえのか。
自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ
ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい
人間が生きる限り、死人も生きているんだ
人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている
ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。
俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。
選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる
失敗することを恐れず、とりあえず何となくやりたい事をやってみたら?
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです
経験も知識も上手く活かせないと意味がない。 自分を狭めてしまうような経験だったら、豊富にならない方がいい
僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。
世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?
要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。
作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと
他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う
人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない
男性のお客さんでライブにいらしている方というのは、何かしらの誤解が生じているんじゃないかなって(笑)
被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる
天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ
高校生の時、僕はズブズブと音楽にのめりこんだ。なにかあるたんびに寂しく一人で音楽を聴くような、僕をそんな人間にしたのは間違いなくパンクがきっかけだと思う
全てのものは限られた量しかない。特に幸福は
時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。それなのに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を重要ではないもののように扱う。
基本的に完成は信用しない
最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである
もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう
マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね
明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう
その瞬間に爆発していればカッコいい
音を出すことで何を伝えたいのか
人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ
中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました
多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある
たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、結構すごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね
愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ
Our life is our art.
人生はアートだ。