批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。
子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)
行動がすべての成功の鍵だ
一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ
時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない
自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。
ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。
美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように
何と嫌な商売だ
選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い
アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に
雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する
私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。
天才のランプは人生のランプより早く燃える
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由
近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない
明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う
人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない
自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる
「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。
期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る
郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)
私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない
一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる
私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ
空気の大事さなんて、なくなんないとわかんないですよ。溺れて初めて空気の美味さって感じるんですよ。なくなんないとわかんない大事さ。相手のことをそんなもの(空気みたいな存在)にしてしまったのかって思ってしまう。
書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる
これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。
ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない
今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い
他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。
Alone we can do so little; together we can do so much.
私たちがひとりで出来ることはほとんど無い。私たちが一緒に出来ることはたくさんある。