


音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。

なんでもいいから、まずやってみる

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

聴いてくれる君が居なきゃ、俺は歌えないんだ。自分の事を「世の中に必要無い人間」なんて思わないで下さい。現にこんなにも俺が必要としています。どうか生きてください

普通なことが特別で特別であることが普通なこと

マーケティングの理想は販売を不要にすることである。つまり、製品がおのずから売れるようにすることである

(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。

毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です

リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね

俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

学ぶという事は一生続く、変化に遅れないようについていくためのプロセスだという事実を、私たちは今では受け入れている。そして、最も緊急な課題は人々に学び方を教えることである

作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました

一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ

早く大人になりたいとか、まだ子供だとか。違うんじゃないか?俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ

世界中で今日もどこかでライブがあるだろうし、明日もどこかでやるだろうし、世界中でも何百何千万、すごい数のライブがあるんだろうけど 、俺の言ってるこのすげえロックンロールっていうのは 多分、ほんの一握りなんだよ

自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです

やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。

東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。

今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから

ライブハウスってのはきれいごとで成り立ってるんだよ! 理想とか夢ばっかり話してる奴しか入っちゃいけないんだよ。ここにはだから嘘みたいな話だけど、お前らの周りにいる奴一人、知らない奴一人でもいいから次こうやってライブで会うまで幸せでありますようにってこの曲を歌って下さい! ありがとうございます。ELLEGARDENでした

Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. The fearful are caught as often as the bold.
危険を回避することは、長期的には危険に完全に晒されるよりも安全ではない。怯える人は大胆な人と同じくらい頻繁に捕らえられる。

「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる

我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する

私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ

自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。

ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している

理論というものは現実に従って変化していく

No pessimist ever discovered the secret of the stars, or sailed to an uncharted land, or opened a new doorway for the human spirit.
悲観論者は星の神秘を発見したり、未発見の土地に航海したり、人類の魂への新しい扉を開くことは決してできません。

ダイヤモンドの行商人がやってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。俺らが欲しいのは今だけです。

若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ

どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。

普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!

創造の最大の敵は「良い」センスだ

僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。

銀杏BOYZ聴いてるつってよ、そのよ、会社の中でそんなのがバレてしまったらよ、「うぇ、アイツ銀杏BOYZ聴いてんの?」なんて差別されるような音楽を俺は作っていきたいワケ

私は捜し求めない。見出すのだ

映画を観てる時もご飯食べてる時も漫画読んでる時も友達と喋ってる時も、なんにもしていない時なんて特に、いつもいつも音楽のことを考えてる

アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

パンのための学問

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)

テストの点数でお前らの価値は決まらねぇ

自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。

あまいなぁ〜 桐生ちゃん …アマアマや!

僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。

真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

人生は、水平方向に落ちていくことである

誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか

人間の運命は人間の手中にある

イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である

ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

目の前の困難から逃げてばかりではダメです

俺らがなんでロックやってっかというと、ロックはさ、汚ねぇ言葉とかすっげぇ使ってるよ。それが受け入れれない奴は、まだロックなんて必要ねぇんだよ。でも、絶対なんか壁にぶちあたった時、ロックを聞くとさ、こんな汚ねぇこと考えてるの俺だけじゃねぇんだって思えるからさ。だから、俺らはおまえらのためだけにロックをやるよ

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ

たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、結構すごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね

仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている

勘違いするな。俺とお前は違う。 お前の極道は死に様。俺の極道は――生き様だ。 同じ道でも、死に向かって戦うのと、生きるために戦うのは違うということだ。いずれ分かる。

Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。

いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分

誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

お前らの人生がライブハウスみたいだったらいいなぁ。おされたり、ぶつかり合ったり、倒れちゃったりして、でも自分の力で立ち上がったり、時には周りの人に助けられたりしながら起き上がって、次の瞬間にはものっすごい笑顔で前を向いてる。お前らの人生がそんなだったらいいなぁ

ウィンターってウィンターって意味じゃないらしいよ。(The Birthdayの神戸ウィンターランドでのライブにて)

If everyone demanded peace instead of another television set, then there’d be peace.
もしすべての人がもう一台のテレビよりも平和を欲すれば、きっと平和は実現する。

間違いや失敗を犯したことのない者というのは、単に無難なこと、安全なこと、つまらないことしか、やってこなかっただけである。逆に優れている者ほど、数えきれない間違いを犯すものであり、これは常に新しいことに挑戦している証拠である

いつだって、今やるのが一番いい

返信への返信(「Re:Re:」)という意味ですが、アルバムの場合、曲の並びが“ラストシーン”から“サイレン”で悲しすぎたので、『もう一度』という意味をこめてタイトルをつけました。(『Re:Re』について)

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
ヌートピアには、国土も国境もパスポートも持たない。人々だけだ。
