


要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。

長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ

人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる

普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!

音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない

前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。

自分じゃない自分を出すのが怖い

人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない

そや桐生チャン…龍司とかいう奴に負けたら承知せぇへんで。俺との勝負も残っとるんやからなぁ。

小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ

まったくもってロックンロールはすげえ。ほんとに。だけど そんなにすごいロックンロールでも 世界中に一握りしかいないんだ

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない

何事も他人に負けてはならないとする気持ちと、決めた目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失わないことが大事だ

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

嫌われることは愛されることより難しい

急流中底の柱、即ち是れ大丈夫の心

好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事

言葉っていうのは、感覚に1番近いものを当てはめるだけだから感覚が伝わるわけじゃないんだよね。自分の心の中で生まれた感情・感覚に、1番似合った服を着せたものが言葉だから。

だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!

意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。

一番悪い奴は「口だけいいことを言って実践しない奴」次に悪いのは「悪いことばかり考えてる奴」そうなりたくねぇんだ

私は大金を持った、貧乏人のように暮らしたい

もともと人は全員、孤独なんだよ

見るために、私は目を閉じる

基本的に私は家の中で曲を作る

正しくない事を言ったりしてるやつが居たら自分ひとりでもちゃんと「それは違う」って言えよ。そしたら俺みたいに嫌われたりもするだろうけど、最後は正直者が笑うんだからさ

自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい

これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。

原因は何十年かのちに学者が明らかにするだろうが、行動する経営者としては待っていられないだろう。使えるもの、分かったことはどんどん使いなさい

「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う

みんなにとってこの曲がどんな意味を持つかは分からないけど、俺はこの曲が嫌いなうちはさ、なんでこんな曲作っちゃったんだろうって思ってるうちは、あぁ俺幸せなんだなって思えるから。

多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。

仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている

僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう

冒険こそが、わたしの存在理由である

僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。

嫌な事は3秒で忘れる

気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常

「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)

誰にでも何かの仕事に適する素質がある。世の中が必要とするものは多く、自分が役に立てることが必ずある

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ

目の前の困難から逃げてばかりではダメです

俺は東城会四代目桐生一馬だ!!

The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched – they must be felt with the heart.
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは見たり触ったりすることはできない。

出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの

僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ

言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ

何かを成し遂げるためには、そのことをしか考えられないという“狂い”が必要となる

喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる

突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。

思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ

生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである

あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である

我々が描くのは顔の表?中?それとも裏か

「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。

これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。

私、雑音がほしくて。綺麗なノイズのない環境が嫌

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

俺以外のメンバーってのはすごいいいヤツでさ、見てて眩しいんだ。誰見てても眩しいんだ。それはうちのスタッフ、ファンもそう。嬉しいし、最高なんだけど、自分が最低の人間だなって思わされる

我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである

自分は燃え尽きることは一生ない

If everyone demanded peace instead of another television set, then there’d be peace.
もしすべての人がもう一台のテレビよりも平和を欲すれば、きっと平和は実現する。

オレは糞っタレのダメ人間!お前ら、オレみたいになんなよ!…でもさ、お前らがいるからこんなオレでもここに立てた。今のオレにはもう歌うしかねぇ、だからお前ら、オレにもう少し付きあってくれ

今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事

自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし

I think our society is run by insane people for insane objectives.
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく

私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う

世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ

仕事のやり方を変えるのではなく、仕事の意味を考えなさい

(身長・体重・胸囲は?)168cmぐらい、50kgそこそこ。胸囲は僕に抱かれてみて判断しろ

信仰と信頼の間にのみ平和があります

手には、物を掴む手と放す手がある

(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので

時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。それなのに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を重要ではないもののように扱う。

コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関

親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい

やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。

どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも

失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい

多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある

オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。
