


コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

ルール破ってもマナーは守れよ

今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました

お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね

今日は本当に最高じゃ。どうやら、この鉄の檻(おり)は人の心までも縛れんようじゃな。

基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。

俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ

笑ってくれりゃあ本望だよ

平等は人道の神聖な法則である

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

すべての偉大な成功は、地味で面倒な事の積み重ねの上に成り立っている

大リーグで活躍したいと思うことは夢じゃないんだよ。野球をやりたいというのが夢だ。

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない

筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ

常に恥とは何かを知り、人に負けない様に強い気を持ち、どんなときでも権力に盲従してはならない

最初っからうまくいくことなんてねぇよ。みんな。本気で手に入れたい世界が俺達にあって、それが今この世にないんなら一から作りゃいいじゃねぇか

楽曲を作ることの方が楽しい。それをいつ本業にできるかって最初から思ってた。

久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?

自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど

昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。

真摯さはごまかせない

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。

太陽のように生きて、太陽のように死にたい

信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

生きていくのに疲れていたり、死にたいなんて思ってたり、自分の体に傷をつけたり、人間関係で悩んでいたり、そんな人にはぜひ入院をすすめる

歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
ヌートピアには、国土も国境もパスポートも持たない。人々だけだ。

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

若さと年齢は無関係

欲張りな人間が、諦観を覚えたときは強いよ

間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる

As selfishness and complaint pervert the mind, so love with its joy clears and sharpens the vision.
わがままと不平は、心を歪めたり曇ったりさせるように、 愛の喜びは視界をクリアにし、鋭敏にさせる。

コミュニケーションで最も大切なことは、相手の言わない本音の部分を聞くことである

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。

要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ

深く、恐ろしく真実を語る者であれ

You either get tired fighting for peace, or you die.
平和のために戦うことに疲れるか、死ぬかだ。

それしかないんだから。腹をくくって、あきらめて。そこに行き着くまでにいっぱい考えればいいと思うし、失敗もすればいいと思うんだよ。

お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない

好きなものを作る、それだけをやるってなるとブレない

女には、生まれつき筋をつらぬく面がある。男よりずっとしっかりしているよ

『自分にはなにもない』って言う人いるけど、そんなことない。コンビニの店員がいなかったら、お弁当あっためてもらえない、銭湯のおばちゃんがいなかったら、銭湯入れない。みんなやることやってる。それを誇りに持てよ!

たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、お前ら、覚悟決めろよ

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

思い出すのは、あんまよくないよ

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)

子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる

人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。

DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い

痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

ちっちゃい子供は成人の10倍笑うんだって!! 負けてらんねーっつうんだよ!! あっはっは

第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている

5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ

作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました

周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。

なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー

夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ

曲作りの勉強は独学です

世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。

どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。

自分を支えているのは、自分

仙台って『陸の孤島』だよな。 (仙台ライブにて)

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。

(20代の時にやっておいた方がいいことはありますか?という質問に対し)簡単だよ、やりたいこと。

自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである

教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している

いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。

人生は、水平方向に落ちていくことである
