こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ
曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主
自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。
日々楽しく過ごしているということは、今を生きているということなんだ
人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である
I don’t believe in killing whatever the reason!
どんな理由だろうと殺しはいけない!
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。
惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね
感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ
夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい
頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!
人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ
恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある
「私は大衆の中の一人であって大して変わりはない」っていう風に思いたいから。絶対に私は普通のことを言ってて、誰しもが思ったことのあるることを言ってるはずで。
三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。
子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人
マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない
自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。
反者から学ぶ事はたくさんあるけど本当に大事なのはそっから先に行く事だ
これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない
ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感
常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ
人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします
音楽、アート、読書、スポーツ、アニメ、ゲーム、etc.好きなものはいくつあったって怒られないのがいいところ。笑。
私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている
In the end, the love you take is equal to the love you make.
結局、あなたが得る愛は、あなたが与える愛の量に等しい。
気とは人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである
音楽が自分のすべてです
型にはハマらずにいたい
Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。
そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。
生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。
歌だってそうなんだ。歌唱力がうまいへたではなくってね、ちゃんとあなたのところに飛んでいくようなメロディを歌いたい
「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている
全てのものは限られた量しかない。特に幸福は
今熱烈に恋してなくたって、すげぇ好きだった人いたことのない人はいねぇと思うんだ。だから何が言いたいのかっていうと…。あんたがたは好きな人のために歌ってください。俺は今日、あんたがたのために歌う
僕たちは心の中にたまごを抱えています。何かを経験して心が大きく揺れたとき、たまごはパカッと割れて新しい命が飛び出します。ロックンロールに出会ったとき 僕の心の中で1つのたまごが割れました。それは初恋のように僕を夢中にさせました。今も元気なその心の住人は僕にマイクを握らせました。
Half of what I say is meaningless, but I say it just to reach you.
僕の言うことの半分は意味もない。ただ君に聞いて欲しくて話しているんだ。
子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね
昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い
楽しいと楽は違うよ。楽しいと楽は対極だよ。楽しいことがしたいんだったら楽はしちゃダメだと思うよ。楽しようと思ったら、楽しいことはあきらめなきゃダメだね。ただ、生活は楽な方が絶対いいと思うよ。でも人生は楽しい方がいいじゃん。生活は楽に、余計なことには気をとられず人生は楽しく。
Prime Minister: Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrivals gate at Heathrow Airport. General opinion’s starting to make out that we live in a world of hatred and greed, but I don’t see that. It seems to me that love is everywhere. Often, it’s not particularly dignified or newsworthy, but it’s always there – fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. When the planes hit the Twin Towers, as far as I know, none of the phone calls from the people on board were messages of hate or revenge – they were all messages of love. If you look for it, I’ve got a sneaky feeling you’ll find that love actually is all around.
デイヴィッド「私は世界のことを考えて落ち込むと、ヒースロー空港の到着ゲートのことを考える。有識者は、世界が憎しみや強欲で満ちているというけれど、私はそうは思わない。愛があちこちに存在していると思う。神々しいわけでも、ニュース性があるわけでもないが、愛はいつもそこにある。父と子、母と娘、夫と妻、彼氏と彼女、旧友。飛行機がツインタワーに突入したときでさえ、私の知る限りは誰も憎しみや復讐に満ちたメッセージを電話で送ったりはしなかった。それは愛のメッセージだった。見つけたかったら、探そうとしなくても、実は愛はいたるところで見つけられる」
幸福には翼がある。つないでおくことは難しい
芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです
画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ
無茶苦茶だよ。熱だけしかなくてさ、意味はないんだよ。
これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。
やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね
人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ
自分を支えているのは、自分
人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである
人の本当の仕事は30歳になってから始まる
みんな同じなんだよ。大人も子供も、上も下もなくて、ただ同じ地面の上にみんな立ってるだけで。そういうことが、28になってわかった気がする。だから、みんなも長生きしてさ、精一杯生きてください。
勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな
最終日だからって、特別なことはありません。最終日が特別なんじゃないんだよ。ロックンロールが特別なんだよ
人は生涯、同一水準の作品しか書けない
わたしは立ち止まりはしない
過去のバンドの名前や音楽を具体的に挙げて、こういうふうにしようと話し合ったことはない。やりたいときに、やりたいことを、やりたいようにやる。そんな自由さを失わずにいこう、みたいなことは話したけど。
普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります
私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ
熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます
周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?
音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない
ステージに出る前、死刑台に上がってく気分になるときがあるんだ。ギロチンの下に頭を置いて審判が下される。
あまいなぁ〜 桐生ちゃん …アマアマや!
さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき
上手い歌なんか歌いたくないんだよな。いくらでもいるし。
お前等聴いてるよな。さっきから聴いてるなって思ってたんだ。だからこっちも唄ってやるぞ!って思ったよ。聴いててくれて嬉しかったよ。ありがとね。
人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない
返信への返信(「Re:Re:」)という意味ですが、アルバムの場合、曲の並びが“ラストシーン”から“サイレン”で悲しすぎたので、『もう一度』という意味をこめてタイトルをつけました。(『Re:Re』について)
Although the world is full of suffering, it is also full of the overcoming of it.
世界は苦しいことでいっぱいだけれども、それに打ち勝つことでもあふれている。
企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。
ルール破ってもマナーは守れよ
音楽は言語のルーツなんじゃないかな
生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。
『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった
椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って
心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ
私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う
私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
最強頑張っている人を見ると泣きそうになる。かっこよくて。俺もああなりたい
悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある
いつからこの国はこんなにもセコイ人間の集まりになってしまったんだ。
芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります
酒は何も発明しない。ただ秘密をしゃべるだけである
I’m not afraid of death because I don’t believe in it. It’s just getting our of one car, and into another.
僕は死を恐れていない。だって、死というものを信じていないから。死とは、1台の車から降りて、別の車に乗り換えるものだからね