たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ
青年は決して安全な株を買ってはならない
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない
その瞬間に爆発していればカッコいい
世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?
俺は錦みてえにはなれねえよ
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない
一番確実な未来予知の方法は、未来自体を作り出してしまうことである
変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。
ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。
「僕は永遠に生きます」って今思ってる。明日も思ってる。あさっても思ってる。10年後も思ってる。20年後も思ってる。そしてある日死ぬんだ。うん。それがいいな。
例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。
「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)
若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる
あんたがたが俺の財産だ。俺達の誇りだ。それで生きていられるんだ。いっつも助けられっぱなしで申し訳ねぇと思う。精一杯作曲する。本当にありがとう
自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。
その日、歩ける一歩を歩くだけ
幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。
自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない
10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。
手段ではなくて目的
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを
人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と
作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ
方向性に迷った時は僕は初めのイメージに立ち返る
手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある
まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!
創造の最大の敵は「良い」センスだ
何も考えないで、何も判断しないことが、一番の罪だと思う
努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである
私は努力をしてこなかった人間。ただ努力をしなかった分、自分の好きなものに囲まれて生きることはできたというか
上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。
その言葉の持ってるリズム感、そういうことの方が全然大事なんだよね、ヴォーカリストには。言葉1個1個のリズムね
絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ
何処に居ても俺らの唄声とか届いてると思うし。
お先真っ暗はすげー前向きな言葉。
自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど
子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね
デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する
世界中のヤツらに嫌われてても、たった一人にでも愛されていたなら、そいつはすくわれる。たくさんの不幸せの中に一つでも幸せがあるなら、そいつは幸せなんだよ
お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ
フッ…… まったく不謹慎やのお〜……お前ら、最高やで!
成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである
創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う
本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である
好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す
芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。
愛の光なき人生は無意味である
お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね
客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ
We’re not disinterested in politics. It’s just that politicians are disinteresting.
僕らは政治に無関心なわけじゃない。ただ政治家がつまらないだけだよ。
今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ
一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから
新潟…新しい『潟』…。『潟』ってどういう意味だーっ?! (新潟ライブにて)
作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。
ロックンロールは入口がいっぱいあるんだよ。何かひっかかった瞬間、それがドアなんだよ。そっから入っていけるんだ。どっから入っても同じとこなんだ。中に入れば全員に会えるよ。すべてに会える。もし会えなかったらまだドアを見つけられてないんだよ。それかちゃんと入ってないんだ
評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな
自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる
どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。
ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ
手ぇ離せや。俺はもう誰の命令も聞かん。あの娘のことはもうほっといたれ。これ以上 手ぇ出すんやったら嶋野の親父やろうが殺すで 俺は……
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる
組織に働く者は、組織の使命が社会において重要であり、他のあらゆるものの基盤であるとの信念を持たねばならない。この信念がなければ、いかなる組織といえども、自信と誇りを失い、成果をあげる能力を失う
21世紀の最大の不安定化要因は人口の構造変化である。ただし、先進国における最大の問題は高齢化ではない。少子化のほうである
自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい
大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである
落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。
世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ
人は見た目で判断する、そんなもんだ
みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね
僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう
涙が出てきたら、耐えて、苦しんで、そして前進あるのみだ
今俺らがうたってる最中に向こうの方横切ってトイレ行ったりしてる奴ら、そいつらもここ(最前列)にいつか来させてやる。全員ギャフンと言わせてやる
建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。
悪い種子からは悪い実ができる
犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか
私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった
What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。