選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる
腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。
みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。
与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては
電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む
恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ
僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから
現状を把握しなければ未来は語れない
I think our society is run by insane people for insane objectives.
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。
最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ
僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない
女性は行動するより前にこうしよう、と考えることがあまりない生き物なんじゃないかと思うんです。先に手が出るというか、体で感じて体で動くっていう
It is for us to pray not for tasks equal to our powers, but for powers equal to our tasks, to go forward with a great desire forever beating at the door of our hearts as we travel toward our distant goal.
私たちは、自分の力に見合った課題を願うのではなく、課題に見合った力を願うべきです。心の扉を叩き続ける強い願望と共に、遠い目標に向かって旅を進めるのです。
失敗する子が減ったかも知れない。安全な道を選びがちだけど、危険な道ほど行ってみようって思う気持ちも大事。
私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
生まれたからには、生きてやる。
他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。
(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。
わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ
私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている
これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。
時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない
College isn’t the place to go for ideas.
大学はアイデアを得るための場所ではありません。
お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した
親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい
ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない
僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない
Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。
組織の活動というのは、「いかに世の中に貢献していくか」という一点に集約される
全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです
近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから
創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う
人生に意味はないよ。だって暇つぶしじゃん。暇なんだよ。みんな人生80年もいらないんだよ。3日もあれば終わるんだ。やることなんて。意味なんかないんだ。楽しければいいんだ。
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
普通なことが特別で特別であることが普通なこと
(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。
本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。
みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない
志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい
今俺らがうたってる最中に向こうの方横切ってトイレ行ったりしてる奴ら、そいつらもここ(最前列)にいつか来させてやる。全員ギャフンと言わせてやる
人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない
お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない
未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ
俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ
自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする
兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。
商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます
(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな
もっとたくさん僕らの曲聞いてもらって、皆を励まして背中を押してあげたい。
風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
お金って、ただの道具じゃないですか
仕事は点ではなく線だ
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
愛しあってるかい?
……キスやな。キスかそれ以上のことやろな、やっぱり。歯…… 磨いとるな?六代目。
子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。
僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。
何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。
彫刻に独創はいらない。生命がいる
何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。
問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである
(「日出処」のタイトルについて)もっとビビッドで、私たちが知ってるお日様って何だろうって思った時に、こういうタイトルになりました
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ
生産性を上げる一番簡単な方法は、今、一番成果が出ている仕事に集中し、成果が出ていない仕事からは、撤退してしまうことである
俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)
みんなで盛り上がることをするな。お前が一番盛り上がれ
どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。
「やさしくなりたい」という意思、それはすごく大切だなと思う
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。