


何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

仙台って『陸の孤島』だよな。 (仙台ライブにて)

理論というものは現実に従って変化していく

天才になるには天才のふりをすればいい

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ

大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた

普段の生活が幸せならいいんだよ。だけど、本当につらいときに聴いてみな。ROCKはお前等を救うよ

嫌な事は3秒で忘れる

勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

世界中のヤツらに嫌われてても、たった一人にでも愛されていたなら、そいつはすくわれる。たくさんの不幸せの中に一つでも幸せがあるなら、そいつは幸せなんだよ

エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

事業を行うときは、次の4つの条件を満たしておかなければならない。まず経営環境、使命、強みが現実と一致していること。そして、それらの条件が互いに合致していること。そして、周知徹底されなければならない。さらに、たえず検証されなければならない

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

かつて「ロックスターは27歳で死ななきゃいけない」という手紙が送られてきて。でも私ドラッグはやらないし、自分のアドレナリンだけで絶対生き抜いてやると思ってますから。それがいかに新しいか、それを立証しなければいけないという使命感がものすごくあるんです。

じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ

みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない

プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要

もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ

意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

お前は自分しか信じちゃいない。自分以外の人間を心から信じれない。だから人から愛されないんだ。

大金を持った貧しい人のように暮らしたい

今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました

人生の目的は悟ることではありません。生きるんです

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!

(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます

久しぶりー、前橋!……ごめん間違えた宇都宮!(栃木ライブにて)

ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな

今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い

北海道、広いよなあ、カナダぐらいあるんじゃねえの?人口、ロシアぐらいあるんじゃねえの?

自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない

出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。

この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。

最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない

曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。

いや、40年と30秒だよ

基本的に私は家の中で曲を作る

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。

神は、もはや人間の力では助けられない時のみ助ける

人間一人ひとりを見ると、みんな利口で分別ありげだが、集団をなせばたちまち馬鹿が出てくる

子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人

僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに

口先だけじゃ海を越えられないのさ

志のない人間は魂のない虫と同じで、いつまでも発展することは無いのだ

よう動く舌やなあどないな作りになっとんねん?もうすぐ夜やで。次のパーティーの話はまだ早すぎなんとちゃうか?

ストーンズだけどさ、あのステージを観たら、なんて言うか、…孤独感が消えたんだよね。ほら、…僕は孤独でしょ(笑)。でも、もう孤独感は消えた。…うまく言えないけど。

Character cannot be developed in ease and quiet. Only through experience of trial and suffering can the soul be strengthened, ambition inspired, and success achieved.
人格は、楽で平穏無事ということのうちには発展させることができない。試練と苦難の経験を通してのみ、魂は強化され、展望は明快にされ、野望は刺激され、そして成功は達成される。

音楽ってゆうのは、なんだろ。何回聴いても毎回ちがうふうに聴こえてくる

ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。

私たちは生涯、忠義を尽くし、御恩に報いる目的で一切の艱難を乗り越えなければならない

で、みんなが「そうやるべき」だなんてことは全然ない。好きにすればいい。俺はどうするかは、俺が決める。それが売れるとか売れないとか、そういうことじゃなくて、自分が恥ずかしいと思わないように、書き続けるだけ。毎回、たったひとりの場所からそれをやる。

(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた

新しい事業をつくり出すときは、大きなビジョンである必要はない。しかし、今日の常識とは違うものでなければならない

腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない

俺は決めたんや。何が正しくて 何が悪いか分からんこの街で誰よりも楽しく 誰よりも狂った生き方 したるってな

やり方を学ぶ

なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい

自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる

見放さなければ、失うということもありません

間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる

何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる

僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。

本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない

人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている

人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい

煮詰まったらドラクエやる

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

人と繋がりたかったら、求めるんじゃなくて、求めたものを持つんじゃなくて、求めるもの全部、自分が閉じ込めてしまうぐらいの、一方通行の自分勝手な行動をぶつけて、それに答えてくれた時に、本当に繋がれるんじゃねぇのかな。

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。

俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。

どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ

重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる

創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる

自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない

寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人間は、幸福である

なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー

誰にでも何かの仕事に適する素質がある。世の中が必要とするものは多く、自分が役に立てることが必ずある

While they were saying among themselves it cannot be done, it was done.
不可能だとみんなが内輪で言っている間に、それはなされました。

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う
