


昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

退屈を怖がってちゃいけない

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。

終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました

お前自身を知ろうとするならば、いかに他の人々が行動するかを観察せよ。お前が他の人々を理解しようとするならば、お前自身の心を見よ

オレは糞っタレのダメ人間!お前ら、オレみたいになんなよ!…でもさ、お前らがいるからこんなオレでもここに立てた。今のオレにはもう歌うしかねぇ、だからお前ら、オレにもう少し付きあってくれ

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

俺にとって音楽って魔物でしかなくて、常に。ごほうびなんて与えてくれないんですよ、基本的に。とにかく捧げものをひたすた貢いで貢いで貢いで貢いで、で、ちょっとおこぼれをいただくような真っ黒い、闇みたいな存在だった

非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している

国際級のすごいソリストを入れても、中に一人下手な人間がいるとアンサンブルとしての実力は、そのレベルに下がってしまう

40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。

自殺か三枚完結かでしょ?ロックストーリーって。

誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう

上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな

人生は、水平方向に落ちていくことである

人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである

津波が来ます。(酒に酔いながらのラヂヲで地震が来たとき勝手に)

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

『自分にはなにもない』って言う人いるけど、そんなことない。コンビニの店員がいなかったら、お弁当あっためてもらえない、銭湯のおばちゃんがいなかったら、銭湯入れない。みんなやることやってる。それを誇りに持てよ!

音楽やる上では、リアクションしかない。だからパッて出したものに対して、リアクションする。その繰り返しで、完成できる。

やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。

音を出すことで何を伝えたいのか

モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

型にはハマらずにいたい

愛することは、愛されること

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

他人のためにやるんじゃないよ。自分がやりたいからやるんだ。

人は素敵な経験があるか無いかで、心の汚れが全然変わってくる

「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った

歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの

見るために、私は目を閉じる

不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである

生まれたからには、生きてやる。

人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね

素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である

志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい

神童などという言葉は、家族のつくったものだ

他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

目の前で襲われてる女の子を黙ってみてられるほど、俺は大人やないんや。

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている

最後は直感なのだ

「私は大衆の中の一人であって大して変わりはない」っていう風に思いたいから。絶対に私は普通のことを言ってて、誰しもが思ったことのあるることを言ってるはずで。

「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)

最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

泣きそうなときこそ、泣くのをグッとこらえた分だけ、弱くなるような気がする。だから、泣きたいときはないていいんだよ。

僕らは全然清く正しくない だからってコソコソはしたくない コントロールできないことなんて山ほどあるよ 笑顔だけは失くさないでくれ たとえ誰かに罵られてもさ 僕はそういうとこが好きなんだ そいつらに中指立ててあんたらみたいにはならないよって言ってやろうぜ

何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる

世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?

もともと変わった曲にしようとしていたわけじゃなくて、自然に出来たんで。まぁ、奇跡って言い方はおかしいですけど、偶然的にあのような曲になったっていうところも大きいんですよね(『サイレン』について)

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね

作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事

より良くならなくていいんだよ。俺たち最高なんだから。

ああ、俺にもできそうだ!

イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である

いいよ。行っちまえよ。何処へでも。何処にでも届くように唄ってるからさ。

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

優しくなりたいと思う人は、優しいんだと思います。

他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない

砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである

イライラや不満を、ただ我慢することなんだよ。いつか来るための大切なエネルギーだから

後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか

なんかさー、ほら、あんまり愛された経験とかねぇだろ? お前らもそうだと思うけどさ。もう受け止めきれないんだよね。幸せ死にっていうジャンルがあったら確実に死んでる…いま

なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない

人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション

生きてると後悔はつきもの

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ

せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ

(身長・体重・胸囲は?)168cmぐらい、50kgそこそこ。胸囲は僕に抱かれてみて判断しろ

これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

俺もな、お前と一緒で目の前に困ってるガキがいると放っておけない性質なんだ

苦労して獲得した金メダルをおじさんに齧られるのって、自分ごととして想像し直すとあれかな、メインのレスポールSPのヘッドを齧られるみたいな感じかな…。正気でいられる自信ないな、俺。

うわー凄げぇな。学校や会社でうまくいってない奴らがここには多いと思うけど、そんな奴らが集まるとこんなキレイな景色になるんだな

僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるか来ないかっていう、ただそれだけ

もともと人は全員、孤独なんだよ

小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった
