


私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな

俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)

そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。

I do not want the peace which passeth understanding, I want the understanding which bringeth peace.
私は理解を超えた平穏を求めているのではありません。むしろ、平穏をもたらす理解を求めています。

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!

藤くん、心からおめでとう。本当に本当に嬉しかった。他人のことでこんなに嬉しかったのはいつ以来だろう。昨日もらった連絡で僕は眠れなくなりました。これからも大好き。おめでとうございます。

勘違いするな。俺とお前は違う。 お前の極道は死に様。俺の極道は――生き様だ。 同じ道でも、死に向かって戦うのと、生きるために戦うのは違うということだ。いずれ分かる。

長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ

不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである

私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。

ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。

たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、お前ら、覚悟決めろよ

あたしロマン派だから。猫の名前もゲーテとシューマンだし。

世の中には違った考え方をする種族がいる

俺は錦みてえにはなれねえよ

「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない

いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい

出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの

他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。

自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。

自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい

余り考え過ごす者は何事をも成し得ない

理論というものは現実に従って変化していく

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ

時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事

何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである

「人生楽しいことばかりじゃねぇ。厳しいんだよ現実は」ってお前らとか俺の周りにも余計なこと言う奴らがいるけど、お前らがこんな風に笑ってそれ見て俺らも楽しくて笑って、そんな俺ら見てお前らも楽しくてまた笑うじゃん。バカみたいだけどそれでいぃと思うんだ。俺はそんなお前らが大好き

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

飛べないホソミはただのタケシだぜ

「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている

私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ

偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている

夢を語る奴のことをバカにしたことはない、そういう奴の為にグングニルって曲が出てきたりします。俺は決して笑わないって歌。そして俺もそういうことをしすぎて目が悪くなりました。夢の見過ぎで悪くなりました。そういう歌も歌ったことがある。でも結局のとこドリーマーです。永遠のドリーマーです。

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

大金を持った貧しい人のように暮らしたい

書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい

返信への返信(「Re:Re:」)という意味ですが、アルバムの場合、曲の並びが“ラストシーン”から“サイレン”で悲しすぎたので、『もう一度』という意味をこめてタイトルをつけました。(『Re:Re』について)

百の欠点を無くしている暇があるなら、一つの長所を伸した方がいい

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。

True happiness… is not attained through self-gratification, but through fidelity to a worthy purpose.
真の幸福は、自己の快楽によって達成されるのではなく、価値ある目的への忠誠心によって得られるのです。

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

戦争は戦争を養う

芸術は何かっていうと、抑制だよね

同じことは二度とできないし、マネもできないんですよ。

基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する

商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。

自分が興奮できないようなものではダメ

(曲を)作ること自体が究極のセラピー

見るために、私は目を閉じる

急成長会社では無能な者が要職にいる。会社の成長についていけなかった人々である

膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)

世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

マラソンランナーと一緒で、長距離を走り抜くにはペースを崩さないこと

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。

業績を上げる最大のカギは責任感である。権威や権限ではない

生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう

経営者は常に現実的でなければならない

本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって

自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

自分じゃない自分を出すのが怖い

自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく

組織に働く者は、成果に何も寄与しないが無視できない仕事に時間をとられる。膨大な時間が、ほとんど役に立たない仕事、あるいはまったく役に立たない仕事に費やされている

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。

迷い、夢見ることをはばかるな。高い志向はしばしば子供じみた遊びの中にあるのだ

限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。

We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。

コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから

効率とは物事を正しく行うことで、有効性とは正しいことを行うことである

言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

周りからどんなにバカに見られたって俺らが楽しけりゃ俺らの勝ちだよな

苦労しないでフッと浮かんだ曲が結果的にいい曲になる

自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない

みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね

もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ

目の前の困難から逃げてばかりではダメです

普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります

学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる

最初にして最高の聴き手は自分自身

真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている

死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。

『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。
