


傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ

他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。

「最近バンドの調子がいいですね。」とか会ったこともない奴に言われる機会が増えました。そういう奴らには、これからも「おめー誰だよ!!??」ってやっていくんで、皆さんよろしくお願いします

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

いまだに『磔磔』って字が書けない…。 (03年京都磔磔にて)

俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!

俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ

創造の最大の敵は「良い」センスだ

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ

人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである

これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

学ぶという事は一生続く、変化に遅れないようについていくためのプロセスだという事実を、私たちは今では受け入れている。そして、最も緊急な課題は人々に学び方を教えることである

終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。

この世には、何一つ決まってることなんてないんだよ。 ただ、そう思いこんでるだけ。

夢見ることをやめてはいけない

素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である

人間一人ひとりを見ると、みんな利口で分別ありげだが、集団をなせばたちまち馬鹿が出てくる

この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

うわー凄げぇな。学校や会社でうまくいってない奴らがここには多いと思うけど、そんな奴らが集まるとこんなキレイな景色になるんだな

さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

Jesus was all right, but his disciples were thick and ordinary. It’s them twisting it that ruins it for me.
イエスは悪くない奴だったけど、弟子たちは鈍かったし普通だった。彼らがイエスを歪めたことが、僕は残念だよ。

上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた

私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。

ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。

低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける

(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね

楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。

名古屋ってダイヤモンドが特産か? …いや、ここに来る途中で『名古屋ダイヤモンド工業』って見かけてさー…ここも『ダイヤモンドホール』だし…。」

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている

調子が良くなかろうが、ノルマを達成するように進めていかなければこなしきれない

若くなるには時間がかかる

The most pathetic person in the world is someone who has sight, but has no vision.
世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人です。

音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

今俺らがうたってる最中に向こうの方横切ってトイレ行ったりしてる奴ら、そいつらもここ(最前列)にいつか来させてやる。全員ギャフンと言わせてやる

勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ

一番悪い奴は「口だけいいことを言って実践しない奴」次に悪いのは「悪いことばかり考えてる奴」そうなりたくねぇんだ

『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる

僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。

別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね

詩人は未来を回想する

重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。

じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ

青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ

帰ってきたぜ!もうどこにも行かないぜ!(アベ加入後、初のライブにて)

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。

今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。

俺がホントについてるなぁとか幸せだなぁとか思うのは、周りにそうやって怒ってくれる人がたーくさんいるんですよね

俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

平等は人道の神聖な法則である

俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。

明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う

『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。

ルール破ってもマナーは守れよ

オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。

お前らが全員霜降り肉に見えるぜ!(兵庫ライブにて)

手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ

期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える

生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ

過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない

ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない

感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。

何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない

小ちゃい頃は入院することが多くて、看護婦さんとか凄いすきなのもそうじゃないかな。だって、生まれてすぐ大手術でしょ?すっごい病院が心地いいのかも知れない。

イエスとノーのあいだに真実が息づいている

限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ

結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。
