21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく
路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね
(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム
近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから
若さと年齢は無関係
忠誠心を買うことはできない。獲得すべきものである。金の力で引き留めようとすれば、引き留められた者が誘惑に対する自分の弱さを会社のせいにするだけである
俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!
私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった
抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ
中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました
後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる
ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです
俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ
オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか
成し遂げたいことに必要な条件を、明確に把握すればするほど、達成される確率は高まっていく
選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである
人生をね、棒に振りたいんだよ
生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる
とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ
今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く
イノベーションを成功するためには、小さくスタートしなければならない。大がかりであってはならない。具体的なことだけに絞らなければならない
俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね
日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。
俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ
お前がワンマンだー!(売れる前、新潟でのライブで客が一人しかいなかった時のこと。その客に向かって)
ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る
「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
煮詰まったらドラクエやる
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。
画家は労働者が働くように勉強しなければならない
ゆっくり急げ。美よりも速く走れ
美はざっと見てもわからない
Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。
音楽って難しいけど楽しいな。昨日今日でやってこと、明日全部やり直し。でも、そういうの嫌じゃない。多分、必要なプロセス。
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな
いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ
自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます
あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ
神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
無能を並みの水準にするには一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする
その瞬間に爆発していればカッコいい
レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。
人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ
まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!
自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい
自分を混乱させるような何かが欲しい。それによって私は新しいものを生み出す
真のマーケティングは顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する
(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
No pessimist ever discovered the secret of the stars, or sailed to an uncharted land, or opened a new doorway for the human spirit.
悲観論者は星の神秘を発見したり、未発見の土地に航海したり、人類の魂への新しい扉を開くことは決してできません。
体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない
我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない
ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する
ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない
調子が良くなかろうが、ノルマを達成するように進めていかなければこなしきれない
高校生の時、僕はズブズブと音楽にのめりこんだ。なにかあるたんびに寂しく一人で音楽を聴くような、僕をそんな人間にしたのは間違いなくパンクがきっかけだと思う
恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある
この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ
私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす
見放さなければ、失うということもありません
僕は音楽が大好きです、本当に。感情論や云々より音楽が大好きなんですね。メロディ、リズム、和音。その三大要素からなる音楽っていうものが大好きです。
焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う
人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている
楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな
作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。
今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。
過去のリーダーの仕事は「命じること」だが、未来のリーダーの仕事は「聞くこと」が重要になる
北海道、広いよなあ、カナダぐらいあるんじゃねえの?人口、ロシアぐらいあるんじゃねえの?
芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ
今真剣なんだ。邪魔するな!
大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた
壁は自分自身だ
後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか
約束の額だ・・・悪く思うな。
数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る
自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである
コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関
誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる
人生はほんの一瞬のことに過ぎない。死もまたほんの一瞬である
人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい
お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。
仕事じゃなくてもやるもんね!
やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。
お金って、ただの道具じゃないですか
最初にして最高の聴き手は自分自身
ベイビーアイラブユーだぜ!
「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ
女性はやっぱり、おいしそうなものにクンクンって吸い寄せられて、それで満腹になったら飽きて、別の方に行って。そういう風に生きていくものだと思うんです
学問は、ある人にとっては神々しい女神であり、他の人にとってはバターをくれる有能な牝牛である
未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである
みんなで盛り上がることをするな。お前が一番盛り上がれ
人間、しがみついてでも、這いつくばってでも、生きることに価値があるんだ。分かるか?
I used to think that anyone doing anything weird was weird. I suddenly realized that anyone doing anything weird wasn’t weird at all and it was the people saying they were weird that were weird.
かつて私は何か奇妙なことをしている人は全員奇妙だと思っていた。突然気づいたんだけど、実際には何か奇妙なことをしている人はまったく奇妙ではなくて、彼らを奇妙だと言っている人こそが奇妙だということに気づいたんだ。