誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか
成功への道は自らの手で未来をつくることによってのみ開ける
詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
たかだか三分ほどの曲でもそうですし、五十分のアルバムでも、九十分のステージでも同じです。「たった今こういう気分の女の子のために」と用意します。そうそう思い浮かべるのは決まって女性です。男性に対してはおよそ腹立たしさしかない。それは女性を瞬間的にブスにするのが必ず男性だからでしょうね。
音楽に限らず、あらゆるクリエイターって2タイプに分かれると思うんですよ。第六感で作るタイプと、いろんなものを分析して構築的・理論的に作っていくタイプと
人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する
In the end, the love you take is equal to the love you make.
結局、あなたが得る愛は、あなたが与える愛の量に等しい。
どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。
僕はいろいろなとこでいろいろな人に聞かれるんだよ。『楽しけりゃいいのか?』って。いいんだよ。そのかわり,楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。
電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む
大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ
確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる
毎回が真剣勝負
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。
寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人間は、幸福である
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?
Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。
私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている
私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。
ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。
ロックの基本は愛と平和だ。
基本的に完成は信用しない
どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?
人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する
夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。
どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。
経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索を割くべきである
言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。
頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう
イエスとノーのあいだに真実が息づいている
何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。
僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている
絵画というのは手で作った写真だ
新潟…新しい『潟』…。『潟』ってどういう意味だーっ?! (新潟ライブにて)
自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです
僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない
路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね
やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。
時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない
ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない
ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。
愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある
どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも
俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。
愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない
「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね
経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない
ひとりの富者がなんと多数の乞食を養うことか!王が建築を始めれば、馬車曳きに仕事が生まれる
言葉っていうのは、感覚に1番近いものを当てはめるだけだから感覚が伝わるわけじゃないんだよね。自分の心の中で生まれた感情・感覚に、1番似合った服を着せたものが言葉だから。
It is for us to pray not for tasks equal to our powers, but for powers equal to our tasks, to go forward with a great desire forever beating at the door of our hearts as we travel toward our distant goal.
私たちは、自分の力に見合った課題を願うのではなく、課題に見合った力を願うべきです。心の扉を叩き続ける強い願望と共に、遠い目標に向かって旅を進めるのです。
人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ
When you’re drowning, you don’t say ‘I would be incredibly pleased if someone would have the foresight to notice me drowning and come and help me,’ you just scream.
溺れている時は「誰か、溺れているのに気づいて助けてくれることを考えてくれたら嬉しいです」とは言わず、ただ叫ぶだけだよ。
偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか
私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない
何もしなくても、ほっといても勝手に時間は進む
宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ
見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう
いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ
戦争やってる遠くの国のことよりも友達の方が大切だと思うけどなぁ
絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ
言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります
でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない
友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね
自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい
ライブってゆうのはお茶の間でせんべえかじりながら見るようなもんじゃねぇんだよ。チケット取れなかったとか色々あるかもしれないけど死ぬ気でチケット取れ。で、見にこい。俺らあれだから。ブラウン管の前で評価されたくねえから
(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです
生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ
芸術家になるのは難しいことではない。内容を別にすれば、世間的には自分が決めればいいだけのことだ。誰からも認めてもらえなくても、己さえ納得していればいいのだから話は早い
お金って、ただの道具じゃないですか
人の評価なんかどうでもいいし
我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない
俺にはなぁ……桐生ちゃんの 命より大切なモン━━見捨てることは できんかったんや。
お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。
True happiness… is not attained through self-gratification, but through fidelity to a worthy purpose.
真の幸福は、自己の快楽によって達成されるのではなく、価値ある目的への忠誠心によって得られるのです。