


音楽に限らず、あらゆるクリエイターって2タイプに分かれると思うんですよ。第六感で作るタイプと、いろんなものを分析して構築的・理論的に作っていくタイプと

大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!

この曲を聴いた人はハルジオンになりたいって言うんじゃなくて、土になって欲しい。そう、あんたは土なんだ。あんたにだってハルジオンは咲くんだと。此処、心の中にあるんだって。別に車に乗ってハルジオン咲いてる所に探しにいかなくたっていい・・だって、此処に咲いてんだから。(ハルジオンについて)

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。

自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと

素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である

一人ひとりと7万回握手がしたいです。

女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう

The most pathetic person in the world is someone who has sight, but has no vision.
世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人です。

素晴らしい夢ほど笑われるものです。 もし、他人に自分の夢を笑われたら「あぁ、自分の夢は素晴らしいんだ」っと誇ってください。

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である

(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

日本人の強みは、組織の構成員として、一種の「家族意識」を有することにある

あんたがたが俺の財産だ。俺達の誇りだ。それで生きていられるんだ。いっつも助けられっぱなしで申し訳ねぇと思う。精一杯作曲する。本当にありがとう

肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない

自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである

おお嫉妬よ!お前は細事の拡大したものである

コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。

Love is like a beautiful flower which I may not touch, but whose fragrance makes the garden a place of delight just the same.
愛は美しい花のようなもの。それに触れることはないかもしれないけれど、その香りは花と同じように庭を喜びの場所にしてくれます。

イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。

妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。

第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)

人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう

新大久保から来ました。(THE BIRTHDAY福岡ライブにて)

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ

自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい

夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き

『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった

人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ

誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか

オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。

効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである

明日描く絵が、一番すばらしい

創造性の最大の敵は良きセンスだ

自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする

Our life is our art.
人生はアートだ。

自分が作った曲をいっぱい聴いてもらえたり楽しく歌ってもらえるんが1番嬉しい。難しいこととか考えたくない!作るのが楽しい、歌うのが楽しい、誰かのの思い出になれる事が嬉しい

どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。

『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』

俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!

予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う

リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。

エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!

自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど

(曲を)作ること自体が究極のセラピー

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである

指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない

俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。

気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ

幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である

徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。

僕はいろいろなとこでいろいろな人に聞かれるんだよ。『楽しけりゃいいのか?』って。いいんだよ。そのかわり,楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。

Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。

この世の中すっげー頑張ってる奴らが上手くいかなかったり、だからとにかく俺達はまだまだこの世の中にぶっ壊したいものがたくさんあって、そういう奴らに中指立ててやっていくつもりなんで、またライブ見にきてやってください

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ。

ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい

太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる

忠誠心を買うことはできない。獲得すべきものである。金の力で引き留めようとすれば、引き留められた者が誘惑に対する自分の弱さを会社のせいにするだけである

基本的に全てのキャラクターは、レベル99まで上げます(※自身が無類のゲーム好き)

今熱烈に恋してなくたって、すげぇ好きだった人いたことのない人はいねぇと思うんだ。だから何が言いたいのかっていうと…。あんたがたは好きな人のために歌ってください。俺は今日、あんたがたのために歌う

詩人は未来を回想する

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

All the world is full of suffering. It is also full of overcoming.
世界は苦しみで満ちています。しかし同時に、克服の光も満ちています。

限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

フェスにはいろんな人のいろんな思惑が絡み付いて、そんなの誠実じゃねーじゃねぇかと思うこともあるんだけど、音楽好きな奴らが集まって、音楽しか能のねー人間が精一杯演奏する。こんなシンプルな関係は政治なんざには負けやしねぇ

僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。

志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい

私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う

小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ
