


教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

組織のマネジメントとは、凄い人材を入れることや改新的なサービスを導入する事のように思われているが、一番重要なのは、今ある人材と資産で何ができるかを考えることである

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する

持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る

前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。

人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである

平等は人道の神聖な法則である

東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。

失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション

誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

ボクシングって勝った方が腕を上げるじゃないですか。でも天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。・・・・・それっておもしれぇなぁと思って

自分には才能がないって思っていたんですけど、今は自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやっています。

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない

フェスにはいろんな人のいろんな思惑が絡み付いて、そんなの誠実じゃねーじゃねぇかと思うこともあるんだけど、音楽好きな奴らが集まって、音楽しか能のねー人間が精一杯演奏する。こんなシンプルな関係は政治なんざには負けやしねぇ

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

俺は東城会四代目桐生一馬だ!!

聴くのをサボんなよ。俺歌うから

この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)

僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ

ロックンロールは入口がいっぱいあるんだよ。何かひっかかった瞬間、それがドアなんだよ。そっから入っていけるんだ。どっから入っても同じとこなんだ。中に入れば全員に会えるよ。すべてに会える。もし会えなかったらまだドアを見つけられてないんだよ。それかちゃんと入ってないんだ

女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

群馬の一匹狼の皆さんこんにちは!これからも一人で頑張って生きて行って下さい! (群馬ライブにて)

人間は老けるよ。あたりまえじゃん。だけどさ、ロックンロールは年をとらないんだよ。ロックンロールっていうのはやっぱりね時空を越えていくんだ!

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。

テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする

言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります

かっちょよく死ぬ瞬間を逃してしまったんだよ。俺たち人類はもうさ生きのびちゃったんだからさ。もうかっこよく終われないんだよ。人類は。だからかっこよく終われないんだから終わらせないようにしようぜって思うんだよ

ダイヤモンドの行商人がやってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。俺らが欲しいのは今だけです。

曲作りの勉強は独学です

仕事は点ではなく線だ

望みがないわけじゃないけど、誰かに叶えてもらったらつまんないでしょ。

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

仙台って『陸の孤島』だよな。 (仙台ライブにて)

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない

人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう

自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない

夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ

人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。

昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。

自分の人間力なんて分からないし、そこで勝負しようなんて思ってないんだよね

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある

他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

人と繋がりたかったら、求めるんじゃなくて、求めたものを持つんじゃなくて、求めるもの全部、自分が閉じ込めてしまうぐらいの、一方通行の自分勝手な行動をぶつけて、それに答えてくれた時に、本当に繋がれるんじゃねぇのかな。

お前らが全員霜降り肉に見えるぜ!(兵庫ライブにて)

「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ

もう俺は、相手がお客さんであろうが、メンバーであろうが、友人であろうが、音楽でしかきっと何も伝えられない。

最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね

嫌われることは愛されることより難しい

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない

何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。

マーケティングの理想は販売を不要にすることである。つまり、製品がおのずから売れるようにすることである

高い金払ってチケット買って見に来てくれてんだろ? 50分だけで良いから何もかも忘れろ! どうせ最後は全員くたばるんだから怖い物なんかねぇだろ

俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる

内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い

まったくもってロックンロールはすげえ。ほんとに。だけど そんなにすごいロックンロールでも 世界中に一握りしかいないんだ

生まれる前からあなたの側にいた曲です

神に誓うな、己に誓え

(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?

手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある

俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

みんなの前で歌わんかったら下手になる

太陽のように生きて、太陽のように死にたい

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。

Life is what happens to you while you’re busy making other plans.
人生とは、人生以外のことを夢中で考えている時にあるんだよ。

成功への道は自らの手で未来をつくることによってのみ開ける

10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。

汝が死ぬ前日に懺悔せよ

いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ。

深く、恐ろしく真実を語る者であれ

When you’re drowning, you don’t say ‘I would be incredibly pleased if someone would have the foresight to notice me drowning and come and help me,’ you just scream.
溺れている時は「誰か、溺れているのに気づいて助けてくれることを考えてくれたら嬉しいです」とは言わず、ただ叫ぶだけだよ。

手段ではなくて目的

「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)

壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です

国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。

他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。

誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い
